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2024/03/19

「砂の時計台」 概説・破



【もうこの世界は、保たないかもしれない―】

【それでも僕らは皆、続けるよ
いつまでも、 いつまでも



彼の躰が朽ち果てるまで、ね】




目覚めると、少女はすべての記憶を失っていた。ただ、わかるのは、自分が『この場所』に覚えがあるということ。

少女の目の前に現れた少年は虚ろな目をしていた。彼は彼女の眉間を指差し、言い放つ。

『ダフネ』

と。

少女の持つものはただ、与えられた名と不思議な青い杖のみ。

そこは筒のような迷宮だった。行くあてもない、生きる理由もない。

少女はただ、少年に会うために、迷宮を抜ける旅に出る。

それはただの繰り返しの事象だと、まだ知らぬままに―


それでもただ、彼を見つけ出すために。彼を迎えに行くために、何度でも何度でも、

世界を、壊すために。







こちらは、自作小説「砂の時計台」の原稿置き場です。

ブログ名は「機械仕掛けの少年」と意味のラテン語を使いました。
ラテン語には明るくないので文法的に間違っている場合が大いにあります。

機械・・・と言うと語弊があるのですが、この「機械仕掛けの少年」という言葉は、この物語のモチーフともなる概念なので、あえて使わせていただきました。

登場人物、及びあらすじについてはおいおい、こちらの概説の記事で追記していく予定です。

改めまして、紺色仔扉と申します。 現在、「青硝子ノ山羊ノ子」というブログ名で、小説「Ourselves」を連載しております。
こちらがある程度の目処がつくまで、ほかの物語を書くペースは非常に遅くなると思うのですが、続けていくつもりですのでどうぞよろしくお願いいたします。
詳しくは、管理人の本館「寄木仔鹿」でご確認ください。リンクのバナーから入れるようにしております。

このお話は当初の設定メモと今の構想を比べるとほぼ別物になっていまして、登場人物も紆余曲折を経て減ったり増えたり外見も変わったりしています。
唯一変わっていないのは主人公のダフネ位のものです(笑)

オリヴァロの外見がなかなか定まらず、そのせいでなかなかすすめられなかったのですが、ようやく自分の中でしっくりきたので、やっと書けるようになりました。

エウロラなど、最初は敵のはずだったのにそういう概念がなくなりました(笑)

この物語の主要人物でも特に核となるのが、主人公ダフネ、そしてオリヴァロとヒケです。

ヒケなんぞ最初全く存在しない子だったのですが、不意に生まれてきました。
でも彼が現れてくれてようやくこのお話が、私の書きたかった物語にかたちづくれるようになりました。ヒケには感謝しています。

追記に登場人物の軽い説明を載せておきます。またおいおい追記していくつもりです。


この物語は、二つの詩をモチーフにしています。 以前書いた「砂の時計台」という詩と「白い麒麟」という詩です。

前者は、この物語のネタを思いついてから、「砂の時計台」というタイトルを思いつき、その言葉から連想して書いてみたものでした。

後者はこのお話とは全く関係なしに、思いついて書いた詩です。 自分のつくった詩で一番気に入っているもので、今回この詩をモチーフにすることで物語がしっくりとくることに気づきましたので、この二つの詩をもとに書いていこうと思います。

ただ、この二つの詩と、この物語は全く別の作品なので、全く同じものになるわけではありませんこと、ご了承ください。

二つの詩へのリンクは下記のとおりです。
砂の時計台
白い麒麟


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[つづきはこちら]

2011/07/21 はじめに。 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.0‐1

砂の時計台

 

 

紺碧の海

陽の光は細かに煌めき

まるで砂金のよう

白い砂を固めて作られた

煉瓦造りの四角い家々に

不釣り合いなほど優美な円柱の

天辺からはいたずら好きそうな大理石の天使が

わたしを見下ろしていた

無性に胸がざわめいている

ああ たしかにわたしは

ここにいたのだ


幾つもの星を渡り

幾千もの哀しみを糧に

生まれては終り

瞼を閉じてはまた開く

安らかなる時の輪の中で

もう動けないくらい

泣きながら歩いてきたけれど

やっと戻って来られたのだ

あなたに会うために

あなたの海にも勝る

深い深い暗闇に

負けないために

強くなったから

わたしは歩いていく


あなたは今も

あのすすけた本を読み掛けのまま

またうたた寝しているのかな

あなたは【全て】だったから

みんなが待っているわ

ここは綺麗な国だけど

いいかげん旅立たないと いけないよ

あなたの長く透き通る銀青の柔らかな睫毛が

震える感覚を

わたしはやっと 思い出した





 

Prolog

 


僕はあの塔が好きだった

どこまでもどこまでも高くそびえ立つ


どこまで手を伸ばしても 空には届かなかった

およそ森と呼ばれるものは

全てただの壁画だった

皆が海だと尊ぶものは

ただの空の映し身だった

僕は塔の一番下で

たくさんの蔦に絡まれ

ただ空を見上げていて

けれどそれが 余りにも当たり前だったから

何も辛くはなかった

むしろ辛かったのはきっと

君に出会ったからだよね

君は僕の内側に踏み込んで

僕を滅茶目茶にした

君に会って初めて

こんなにも心が痛いものだと知った

僕は君と一緒に

この塔を抜けて

天窓から覗くあの青に

飛び込んでいきたかった

吸い込まれたかった

僕は孔雀の羽に包まれて

ただ不格好に飾られた絵を見ることしかできない

寂しくはなかった

僕には銀色の美しい梟がいてくれたから

僕のただ一人の相棒だった

だけど

僕は見つけてしまったんだ

いつもどおり

君が現れるはずの 額縁の中

赤と朱

黄色と金色のアーチの中に

ひそやかにたたずむ柔らかな白の

ほっそりとした姿


真っ白な麒麟がそこにいて

首を少しだけかしげていた

君が来るのだと思っていたのに

うして僕にはあの時 麒麟が見えたのかな

だけどあの時知ったんだ

もしかしたらここは

何かを間違えた世界なのかも

しれないんだって

背を向けて森に消えた白い麒麟を追いかけることもできないまま

僕はぼんやりとそんなことを

考えていたんだ



 






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2011/07/26 小説:砂の時計台 序章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.0-2

**********

 

高く高く本が積み上げられた書架の中で、まるでパズルのバラバラになったピースのようにたくさんの本を床に散らばらせ、少女が一人、その真ん中に座り込んで、一つの本を食い入るように読んでいた。

本は臙脂色の煤けた表紙をしている。


栞用の紐は、青みの強い鮮やかな紫で、照明を反射しててかてかと光っている。


それを螺旋階段の上から見下ろしながら、少年は手すりに身をもたせかけ、頬杖を付いていた。


まるで少女のいる場所が、塔の底に見える。

否、少年にとってはまるでそれは、逆さ映しの天窓のようだった。

軽い目眩と闘いながら、少年は、少女がいつ、散乱した本を棚に戻そうとするのだろうかと、半ば呆れる。

短めに不揃いに切られた薄焦茶の髪が、床板の色に溶け込むようで、不意に手を伸ばしたくなる衝動に駆られた。

けれど、まだそんな段階ではないのだ。彼女は何も、覚えていないのだから。

少年は体を反転させて、手摺の、蔓の文様のような美しい黒の金属装飾に背中をあずけ、天を仰ぐ。

静かに息を吐いた。踊り場の方からは、やけに興奮気味の子供の声が響く。少年は苦笑した。

子供というのはひどく無邪気なものらしい。少年は彼らと年はそう違わなかったが、秘めた記憶のせいで、随分と老成してしまっていた。知能が少し抜きん出ていたせいもあるかもしれない。目立ちたかった。有名になり、報道されるような人物になれば、いつか、いつの日にか、

彼女に、見つけてもらえるのではないかと、期待して。

そして彼女はあっさりと少年の予想を裏切った。

少年が有名になろうがなるまいが関係なく、彼女は少年のもとにたどり着いてしまった。

海を越え、国を越え。

決して知り合うはずのなかった二人は、まるでそれが必然であったかのように、自然に出会い、そのままこうして彼女とその友人兄弟まで、少年の家に入り浸っている始末だ。

けれど、もう時間はなかった。ただの長期休暇なのだ。

あと数日もすれば彼女たちはまた海の向こうへと帰ってしまう。

【また会いたい】と、言えるかどうか、不安だった。

彼女は余りにも平凡で、普通の子供で。

少年は有名になりすぎている。

もう二度と、邂逅などかなわないかもしれない。

―それじゃ意味がないんだ。意味がない。

どうしたら彼女をつなぎとめられるだろうかと、少年は半ば苛立ちながら考えていた。

ふと、階下から階段を駆け登る音が聞こえてくる。

特に体を動かすこともないまま待っていると、息を切らせて走ってきたのは彼女だった。

先刻からとり憑かれたように読みふけっていた本を抱えている。

「オ・・・ズ」

「何?」

少女はよほど息が苦しいのか、胸を抑えた。オズは呆れかえる。

「息整えるくらいしていいから。まったく。四階まで走って登ってきたらそりゃ息切れもするでしょ?」

「これ・・・この、本」

少女は本を突き出した。オズは気のなさそうにそれを受け取る。

「これがどうかしたの?」

「開けて・・・お願い」

「は?」

「元のように、真っ白だよ」

「そりゃそうでしょ、元々これは本というか、ただの日記帳用の冊子で、結局誰も使っていないってあれだけ言ったろ?」

「でもね、でも、わたしは見たもの、文字と、絵があった。記号があった。わたし、覚えてる。あの景色を覚えてる!!」

オズは絶句した。このノートに、そんな効果があるとはオズも知らなかったのだ。

怖くなんかなくて、むしろ期待して、ひどく心がかきむしられたのに、まるで恐ろしいものに出くわした時のように、血の気が一瞬で引いた。

オズは何も言えなかった。少女の言葉を待つしかできない。

ノートを開いてみると、たしかにそこには【何も書かれてはいなかった】。

これはそういうものなのだ。役目を果たした本は、全ての人の手で染み込まされたインクを失う。

すべての軌跡は消えたのだ。

少女はしばらく目を泳がせていたが、急に、「あっ」と声を上げると、再びものすごい勢いで階段を駆け下り、書斎の扉から姿を消した。

オズはまたもや呆れる。

忙しない娘だ。苦笑した。けれど、心がほんのり暖かくなるのはなぜだろう。

記憶とか、繋がりとか、関係なく。

俺は、あの子にやっぱり惹かれるのかな」

オズは独り言ちた。




ダコタは全速力で走った。途中何度もつまづきかけたり、階段から滑り落ちそうになったが、それでも走った。

この屋敷はとてつもなく広い。古い木の香りと、黒く塗られた金属の香りと、

大理石のひんやりとした温度が、たゆたっている。

ダコタはようやく、屋敷の玄関先にたどり着いた。

大理石の階段。

不自然に大きい円形の天窓。

大理石の柱。

白い床に描かれた、青の線画。

それは明らかに、ダコタが、いや、ダコタの映し身が、何度も描いたことのある陣だ。

柱の形は、オズの祖父はパルテノン神殿をイメージしているといったが、本当はそうじゃない。

何度だって、見覚えがあるのだ。初めて【彼女】が目覚めた入口の、アーチの柱。

この屋敷に広がるすべてのものが、古典に回帰した現代彫刻としてのカモフラージュをされながら、その実、それは全てが【あの】世界の景色の模造だった。

―ああ、どうして気付かなかったんだろう。気づけないでいたんだろう・・・!!

ダコタは滲んでくる涙を手でごしごしと拭った。コツ、コツ、とヒールの音が、上から下へと響き降りてくる。

「オズ・・・」

ダコタは唇をかみしめた。

「なんだよ」

オズは気だる気に答える。

ダコタは振り返った。

オズのダーティブロンドの柔らかな髪が、青い薄板で閉じられた天窓の光に照らされて、この国の青い海のように艶やかだった。

「オリバー」

ダコタがその言葉を口にした瞬間、オズは肩をひどくはねさせ、小さく震えた。

まるで、森の小鳥が、羽の朝露を払うような、静かな時間。

「あなただったんでしょう?オリバー」

「な・・・んのことか な?」

オズはぎこちなく笑う。顔がひきつっている。動揺しているのが鈍感なダコタにもありありと見て取れた。

「知ってたんでしょう?ずっと・・・待っててくれてたんでしょう?わたしが・・・わたしがあまりにも、だめな子だったから」

「違う!そうじゃない!ただ俺は、・・・ただ」

「ずっとね、探してたの。わかるよ、今ならわかる・・・!だってわたしも、あなたを探してたの。会いたかったから、探してたの!ずっとずっと・・・待ってたの。探したかったの!」

ダコタは我慢ができずに、オズの首に抱きついた。オズは体を支えるために、咄嗟に階段の手すりを掴む。

呆然としたように、呟いた。

「会いた・・・かった・・・?」

「待っててくれた?」

ダコタの言葉にしばらく呆然としていたオズは、ようやく、震える手でダコタのひんやりとした髪を撫でた。やがて、震えは収まっていく。ダコタは、より強くオズを抱きしめる。

「うん」

オズはようやく、ダコタの肩に顔をうずめ、ダコタをふわりと抱きしめた。

「待ってたよ。ずっと・・・待ってたんだ」

「ごめんね」

「いや」

「会いたかった。会えて嬉しい」

「うん」

オズはダコタの額に自分の額を当てる。

ダコタは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。オズは柔らかくそっと笑う。

「不細工」

その言葉に、少しだけオズの服を握り締めて、ダコタはくしゃり、と笑った。

「ただいま」

天窓からの光は、少しだけ傾き、二人の影を短く照らしている。




そうしてようやく、【彼女】は目を覚ました。

そこがどこかも分からずに。

自分が誰かも忘れたまま。

元々ないものを、覚えていたはずもない。




それは塔の中。

鳥羽に埋もれた、飴色の塔の内壁。

 

 




序章 了



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2011/07/26 小説:砂の時計台 序章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.1

第一章
 
一、
 
碧い海だった。
その底へ、少女は静かに沈んでいった。
けれど、苦しくはない。
まるで、赤子に還るように、心がとても満たされていた。
海の中なのに、小鳥達のさえずりが耳に、皮膚に、染み入る。
魚たちが歌っているのだろうかと、ぼんやりと考えた。
少女は自分に、意識があったことにようやく気付く。
この感覚はよく知っている。
もうすぐ夢から覚めてしまう。
起きてはいけない。起きたくない。
少女は決して目を開けないように、きつく体ごと抱きしめた。
けれど光は容赦なかった。海の底の割れ目から、白い光が放射状に漏れ出て回る。
少女は、瞼を開けてしまった。
その光に、包まれる。
 
急に息が苦しくなった。体がまだ水の中に埋もれているようだ。少女は無我夢中で顔を上げた。
その瞬間、ようやく世界が開けた。
白い大理石の、アーチがある。
太い柱の天辺には、翼をもった稚児の彫刻があった。
蔦が絡んでいる。朝顔によく似た濃い紫の花が咲いている。アーチの向こうには、扉があった。
まるで絵の額縁のようだ。
辺りは真っ暗だった。天使の彫刻だけが、鈍く虹色に光っている。
少女が花に触れると、花はふるると震えて、枯れてしまった。少女はぎょっとして後ずさる。そのままもう一つの柱にぶつかってしまった。手が蕾に当たる。とっさに手を離したが、今度は蕾は美しく花開いた。少女は息をひそめる。
辺りを見渡したが、この【門】以外はどこまでもただの何もない暗闇であるらしかった。少女は、内側から湧いてくる空恐ろしさに、身をすくませる。
ふと、キン、と、金属が擦れ合うような音がした。少女ははっとして、音の聞こえた楕円の扉を見つめる。
扉の上から隙間が広がり、光が漏れてきた。少女はまぶしさに目を細めた。扉は上から開くらしかった。重たい石の扉が、勢いをつけて開いていく。
少女は慌てて奥の方へ避難した。下手すれば押しつぶされかねない。
重いはずのその扉は、音もなく地面に倒れて落ちた。
少女は口元に震える手を遣る。
白い光の中、開いた空間の端から、誰かがひょこり、と顔を覗かせた。
切りそろえられた金髪が、さらりと揺れる。少女は目を細めた。
とてもあどけない顔をした少年が、少女を見つめている。その、まるで宝石のような薄水色の瞳に、目を離せなくなった。少年はぼんやりとした表情で、首を小さくかしげる。
ふと、少年の周りの空気が揺れて、白く鈍く瞬いた。
少年がいたはずのところに、小さな白い麒麟が佇んでいる。少年と同じように、首をかしげ、その薄水色の瞳で人懐っこそうにこちらを見ている。
少女は驚いて瞬きを繰り返した。けれど、まるでそれが夢だったかのように、少年は少年の姿で同じ場所に立っている。
少年の背に、宝石を薄く伸ばしたような、菱形の光が数枚見えた。少年はそれをはばたかせ、ふわりと舞い、少女の目の前に降り立つ。
なんて綺麗で、儚い羽だろう、と思った。
否、羽だけではない。この少年自身がとても綺麗で、儚い。
薄く伸ばした宝石のようだ。
少年は、乏しい表情で、少女を見下ろす。
やがて、静かに右手を上げ、少女を指差した。
「ダフネ」
木琴のような音が少女の耳に届く。それが少年の声だと気づくのに、時間がかかった。
「君は、ダフネ」
少年は、そう言って、笑った。
花が咲いたような微笑み。少女は目が離せなかった。
やがて、少年は、強い光に滲むように消えていく。少女は手を伸ばしたが、届かなかった。
少年が消えてしまう瞬間、少年の髪は銀色に光った。
光が少女をも包み込む。
ぐらり、と体の傾く感覚に、少女は思わず体を抱きしめた。
少女のいた空間が、傾いている。
扉のあった門は、床の位置に落ち着き、絵のように潰れて立体を失っていた。
重力に引きずられるように、少女も滑り落ちていく。
少女は、【外の世界】に、吸い込まれた。扉が閉じる。音を立てて。
それはまるで、鉄琴のように響いた。
落ちていく瞬間、見えた最後の暗闇の中に、たくさんの人の顔が、彫刻されていたように思った。
吸い込まれていく。
少女は固く目を瞑った。長い髪が首に絡まる。
遠ざかるものは、青空だった。
見渡すと、森や街が見える。自分は空から落下しているのだと悟る。
―怖い・・・!!
少女が口元を覆った時、ふわり、と温かな手が少女の腰に触れた気がした。
少女を包んでいた鋭い風が止む。
少女の目に、赤い布と、銀色の糸が映る。
不揃いに切りそろえられた艶のある銀髪に、深い青の目をした少年が、にっこりと笑いかけていた。
少年は、最初に出会った少年とそっくりな羽で宙を舞っている。
両の頬に、痛々しい焼き印があった。
「あなたは・・・」
少女が呟くと、少年は目を細めた。何かを面白がっているような目だ。
「君は?オリヴァロから、名前をもらったでしょう?さっき」
鈴の鳴るような声で、少年は笑った。
「オリ・・・ヴァロ?」
「【白麒麟】だよ。この世を統べるもの。この世の柱となる彼を、君はもう知ってしまったでしょう?」
残酷な笑みを浮かべる。
少女は目を泳がせた。
「ダ・・・フネ、って」
「ああ、そう、ダフネ、ね。ようこそ、【浮彫】よ。君を歓迎しよう。ただこの世界で生きてくれていればいい。余計なことはするな。死にたくなかったらね」
くすりと笑って、少年はダフネを静かに地面に下ろした。青緑の葉を茂らせた木々の中。
「で、でも、わたし、どこへ行けばいいの?」
「どこにも行く必要なんてないよ?」
「で、でも、それじゃ生きていけないわ!」
ダフネは泣きそうになった。少年は冷たいまなざしでダフネを眺めていたが、やがて面倒そうに嘆息した。
「そう。じゃあ、君はどうしたいの」
「・・・え?」
「何をしたいかもわからない君に、教えてあげられることなどないよ」
少年の声はとても冷たい。ダフネは混乱していた。何かがおかしいと思う。それなのに、何も分からない。思いつかない。
「あ、あの、あ、あなたの、名前は?」
「は?」
少年は眉根を寄せた。
「聞いて何かなるの」
「お、お友達になれるわ・・・!な、なれると思うの・・・だって、わたし他に誰も知らないし・・・」
最後の方は尻すぼみになる。少年は嫌そうに嘆息した。
「友達ねえ・・・おめでたい頭脳のようだ。そもそも君、他にだぁれも知らないわけじゃないでしょう。言ったじゃない。最初に【オリヴァロ】に会ったはずだって」
「あ・・・」
ダフネは顔を真っ赤にした。穴があったら入りたかった。けれど、なぜそんな気分になったのか分からない。
目の前にいる少年はとても刺々しく、冷たい雰囲気をまとっている。それが怖くて、なのにすがりたかった。けれどダフネは今、無性に最初に出会った少年に会いたくなった。彼の顔を見ていると、心が安らいだのを思い出したのだ。
「わ、たし・・・オリヴァロに会いたい・・・のだけど・・・ど、どこへ行けば」
「さぁねえ?僕が教えてあげる義理はない。だけど」
少年は冷たい声で言った後、にやりと笑った。
「よかったじゃない、君のご所望とやらの【目的】ってやつが今生まれたみたいだよ?」
「あ・・・」
ダフネは口ごもった。手に持っていた棒を握りしめる。ややあって、ダフネは小さな悲鳴をあげてその棒から手を離した。いつの間に存在していたのだろう。
水色の、不思議な形の杖がそこにあった。先端はまるで、砂時計の球体のようだ。音もなく、虹色の火花が灯っている。
「それ、その杖は【ダフネ】のものだ。よかったね。君は杖にも【ダフネ】を認められたらしい」
「つ・・・え・・・?」
「ああもう、すっとぼけでうっとうしいね」
少年は嘆息した。
「もっと今までの子みたいにさ、すんなり現実に対応しようよ。うっとうしいったらないよ。ってこれ失言か。危ない危ない」
少年は口元を覆った。
「じゃ、僕は行くから。僕、オリヴァロに頼まれてここにいるだけだからね。用がすんだらさっさと帰るよ」
「え?あ、あの・・・!待って!」
「はぁ?待たないよ、待つわけないでしょ」
少年はからからと笑った。ダフネは顔を赤くして俯いた。少年はふと、宙に浮いたまま何事かを考え込む。
「そう言えば、聞かれてたね。まあ名乗る義理も本当はないけど。一応僕は【銀梟】だよ。またどこかで会えるといいね。会いたくないけど」
少年はにっこりと笑う。威圧感のある笑みだ。ダフネは身をすくませた。
「ぎ、銀梟・・・?」
「そう。ヒケ。僕はヒケだよ」
少年はくすくすと笑いながら、空の光りの中へ消えていった。
後には風が残される。
木の葉が静かに舞う。
 
 



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2011/08/11 小説:砂の時計台 第一章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.2

二、
 
取り残されたまま、ダフネは呆然として少年が消えていった空を見つめていた。
不思議な少年だった。
最初に出会った少年と何処か似ていて、似ていない。
儚げで、柔らかくて、
けれどヒケを見ていると、捕まった魚を思い出した。
もがき苦しみながらやがてぐったりと体はしなびていく。
―また、会えるかしら・・・。
ダフネはぼんやりと、そう思った。
 
ダフネはあれからかなりの時間を、地面にぺたりと座り込み、うつむいてやり過ごしていた。
どこへ行くあてもない。
行くべき目的は見つけたけれど、どう動いたらいいのかわからなかった。
この世界を、ダフネは何も知らない。
それなのに、ヒケはダフネを置いていってしまった。
ダフネはこのひろい青空の下で、ひとりぼっちだ。
―物語だったら、きっとヒケみたいな子が道案内してくれるのに。
ダフネは小さく嘆息して、ふと、どこで自分は物語に触れたのだろう、と思った。
記憶がない。
家族というものがあったはずなのに、思い出せなかった。
自分に言語を教えてくれたであろう人達の顔が、浮かびかけて、霧のように儚く消える。
考えれば考えるほど、自分の中に蓄積されていたはずの記憶という記号が、砂のように溢れていく心地がして、心臓が跳ねた。
―わたし、どうしてここにいるの?わたしはどうして【ダフネ】なの?
ダフネは杖を握りしめる。
ふと、杖が熱を帯びたように感じた。
けれどきっと気のせいだ、とダフネは首を振る。
ずっと握り締めていたから、熱く感じただけだ。
ダフネはそっと、右手を杖から離した。
とても綺麗な杖だ。
まるで、プラスチックのような筒の中で、銀と青、紫や緑のちらちらと瞬く液体、霞みのようなものが流れ浮遊している。
「綺麗・・・」
そっと杖を撫でると、微かに杖が震えた気がした。
「え?」
杖が熱を帯びる。
今度こそ、無視できない熱さだった。熱湯に触れた時のようだ。ダフネは驚いて杖を離してしまう。
転がった杖は、白い煙を黙々と吐き続けた。
「え?どう、どうしたら、か、火事になっちゃう・・・?」
ダフネがおろおろしていると、白い煙はやがてダフネを包み込んだ。むせ返り、ダフネは激しく咳き込む。
「色気ねの」
鈴虫の鳴く声に似た音と共に、誰かの声が聞こえる。
ダフネの肩に、顔を埋めている。
「ひゃあっ」
ダフネは驚いて、彼の胸を突き飛ばした。少年の背中がふわり、と、人間らしからぬ柔らかさでくねる。少年はそのままふわふわと風に流されて、近くにあった木の幹にぶつかった。その衝撃は小さかったけれど、腕が形をなくして煙に戻る。
「あ・・・だ、大丈夫、ですか」
ダフネがオロオロとしながら側によると、少年は、『あー』と、やる気のない声をだした。声と同時にまた鈴虫のような音が響く。少年の喉から、二つの音が同時に出ているようだった。
「あんたが新しダフネぇ?」
「は?え、た、たぶん」
面倒そうな顔でダフネをつま先まで見つめて、少年はふう、と息を吐いた。その息と共に再び小さく鈴の音が震えてくる。
「もうちょさ、しゃきりしてぐんね?」
「は、え、はい?」
とても訛りの強い言葉を話していらっしゃる。ダフネの頭の中は疑問符だらけになった。
鈴の音がかすれたように響いてくるので余計に聞き取りづらい。
「まいか。とごろであんた、何こごでもだもだし」
「え?ええ・・・ええと・・・」
「なだ?」
少年は苛ついたように言い放った。キーン、という音が響く。ダフネは思わず目をつむった。
「あ、あなた、そ、その・・・杖の、杖の妖精さん・・・?か、何か・・・ですか?」
「あァ?妖精?」
「ええ、えええ、ち、違うの?」
「妖精だァ?あんた阿呆か。なっどぐしたわ」
少年はクスクスと笑い始めた。
「ハッカリじゃボケ」
「は、ハッカリ?あなたの名前」
「そなも」
「あ、あなたの言葉、訛りが強すぎてわかりにくいわ」
ダフネは泣き出しそうな声で言った。しかも少年は異様に目付きが悪い。目の下にある隈と、色のない瞳が余計に怖く思えた。
白目と瞳の境目は薄黒の線でわかる。けれど少年の瞳の色は白目と同じで真っ白だった。髪の毛も煙のように白い。とても怖い。背の高さが自分と変わらないから、目線がぴったり一致してしまって、余計に怖い。
「ハッカリの言葉わがらねならあんたがただ慣れてないだげじゃボケ」
「そ、そうなの!?」
「あんたがこな国馴染めば自然ハッカリもあんたと同じよに話せるよるば」
ダフネはハッカリの言葉を頭の中で反芻する。
「わ、わたしがこの世界に慣れたら、あなたも私と同じような言葉遣いになってくれるの?」
「たぶ」
「ど、ど、努力します」
「んだ吃り多ぎなィ。うっどし」
非常に苛ついた様子でハッカリは言い放った。ダフネはまた目をつむる。
「ご、ごめんなさい」
ハッカリは欠伸を噛み締めた。
ダフネは杖をそっと握り締めながらハッカリに向き合う。
「その・・・ハッカリさんは結局何者なの?ですか?」
「さいらね」
「え?」
ダフネは泣きそうになる。
「ハッカリ呼べ」
「え?あ、さん付けはいらないってこと・・・?」
「そ」
ハッカリははにかんだように笑った。
「さづけ気味悪」
「う、うん・・・」
「ハッカリは号」
「ごう?」
「記号、符号、呪号、全でハッカリ」
ハッカリはダフネの杖をとんとん、と指出した。
「あんたが唱うものにハッカリは変わる。ハッカリそれ。あんたの力はハッカリを連れること」
「い、今はどうやって出てきたの?」
「あんたァ、何が不安がって。だどもハッカリ呼ばれでねけんど、なんどなけっきょ出でしまったィ」
ダフネはじんわりと胸の奥が温かくなるのを感じた。ハッカリは少しだけ頬を初めて目をそらしている。
「ありがとう」
ダフネは顔をくしゃくしゃにした。
「ぶっさいぐ」
「うん・・・あはは」
「ハッカリを呼ぶにはどうしたらいいの?」
「名前呼べば出てこれる。だ、むやみ呼ぶじゃね。ハッカリ混乱すど」
「う、うん・・・じゃあ、普通に話題に出しても、もしかしたらだめなの、かな?」
「だめ」
「え?そ、それ大変じゃ・・・」
「出さなぎゃいが」
「そ、そういうわけにもいかないかもだし・・・」
「ハッカリ使用されれば消える。まだ呼べば出でぐ。今ハッカリ勝手出でぎたせで戻れん。何かづがえ」
「え?ど、どうやって・・・」
「なんでもいいがら願え。どせあんた呪文知らべ」
「じゅ、呪文があるの?」
「ほんどはな」
「ハッカリ、って言葉も・・・そうなの?」
「あだりめ」
「それ・・・」
「いいがら何が願え。ハッカリ疲れた。あがるいのぎらい」
眩しそうに目元を手で覆う。
「ね、願いだなんていきなり言われても」
「おま・・・ボケ」
ハッカリは深々とため息をついた。息を吐くだけで綺麗な音が響いて、羨ましいな、とダフネはぼんやりと思う。
「どごさ行ぎた」
「・・・最終的には、オリヴァロって子のところに行きたいの」
「あんた無理言うねべ?」
「む、無理?」
「ただの一介のダフネが会うる存在じゃね」
「で、でもさっき会ったもの・・・」
「いいが。今までダフネは何十人いだけども、白麒麟と見えたダフネは一人もいね。会っだら壊れる」
「で、でもさっき会ったもの!」
「んなこだ知らん。ハッカリ知らん!」
ハッカリは苛々と言い放つ。
ダフネは俯いた。ハッカリはふう、と息をつくと、少しかがんでダフネの顔をのぞき込む。
「いいが。一つ教え。ほんどは教えちゃいげね。でもあんたあぶなかしが、教える。ダフネは白麒麟の大事なもの。心臓。だども一緒にいだらいかね。白麒麟生きるためダフネ必要だど、ダフネに会だら白麒麟だめ。だども・・・」
ハッカリは苦笑する。
「多分、あんたが会っだの、白麒麟本人じゃなし。だども今までのダフネ、白麒麟の顔すら知らずに消えた。ハッカリすごし興味出だ。なじょあんた見たけなァ?」
「え・・・」
「楽しい」
ハッカリはくすくすと笑った。鈴が転がるように音が響く。ダフネは杖を握った。
「わたし何をしたらいいかわからないもの・・・会えるか会えないかは別だけど、でも、会いに行くって目的にしちゃだめかなあ?」
「なじゃ、あんた何も仕事ねの」
「仕事?」
「変」
ハッカリはうーん、と唸った。そしてふと、思い至ったようにまじまじと杖を見つめる。
「あんたなじょしてその杖見づげだ」
「え?わ、わからないけど・・・ヒケ、っていう子と話してたら、出てきて・・・」
「ヒケ?誰が」
「え?ええと・・・ぎ、銀梟って言ってたような」
「なしな」
「え?」
「銀梟?」
「う、うん」
「意味わがらん」
ハッカリはぽかん、と口を開けた。
「意味わがらん。ありえね。わがらん。なじょ前触れ」
「え?」
「やごっちの話」
「う、うん?」
「で何言うたそれ」
「ヒケ?」
「そうそ」
「ただ生きてればいいって言ったんだけど・・・わたしが食い下がったら、じゃあ何がしたいのかって聞かれて・・・話の流れでオリヴァロに会いたい、ってなって、そしたら、目的ができてよかったね、って・・・」
「ふーん・・・」
ハッカリは眉を寄せて首をかしげる。
「意味わがらんなィ・・・だど別に止めらるった訳じゃなし」
ハッカリは嘆息した。
「んだ好きにすべ」
「う、うん?」
「で、願い何」
「え、き、決めてないよ!」
「早よ決めろし」
「え?ええと・・・ええと・・・」
ダフネは慌てる。
「あ、あの、側にいて欲しいの!だめ?こ、心細くて」
「あァ!?」
「ご、ごめんなさい!」
「はぁ・・・つがれる・・・なんじゃそ」
ハッカリは頭を掻いた。
「その願い叶えっとハッカリ戻れね!!」
「あ、う、うんそうだよね・・・疲れたって言ってたもんね・・・」
「あぁうっどし・・・」
ハッカリは嘆息した。
「いっだ帰っていいが。もさどでもいい」
「え?あ、うん、うんどうぞ・・・!」
ため息混じりにハッカリは一瞬でもとの煙に戻ると、杖の中に吸い込まれていった。そのまま森に静けさが戻ってくる。
杖は何も言わない。
不安になって抱きしめると、ぎゃあ!という叫び声が中から振動で伝わってきた。
「え?な、何?」
『抱ぎしめるなし!』
「え?ご、ごめんね、苦しかった?」
『そじゃねー!!!』
再び杖が熱くなった。ぷすぷす、と奇妙な音が漏れる。まるで機械が壊れたような煙の出方に、ダフネは少し心配になった。やがて顔を真っ赤に染め上げてハッカリが再び現れる。
「いいか!!胸の前でハッカリ抱ぐじゃねえ!!」
「え?は、はい・・・?」
「みったぐね!!」
「ええ?」
真っ赤になった顔を手で仰ぎながら、ハッカリは苛々したようにため息をついた。
「そんながいたらハッカリの身がもだね。しがだないがらあんたに仲間がでぎるまではこうしてそどいでやる。だがハッカリ疲れやすい。そん時すぐ帰らせろ。その代わり手で持て。杖は手で持て!!かがえるな!!」
「は、は、はい」
「いいが!ハッカリぬいぐるみじゃね!抱ぎ締めるもじゃな!」
「は、はい。あ、あの」
「何だ!!」
「う、あの、さっき、『ハッカリ』っていうのは呪文の言葉と同じだって言ってたよね?」
「言っだ」
それがどうした、という顔でハッカリは首をかしげる。
「でもそうだとしたら、ハッカリ、って言葉を連呼しすぎるとハッカリは疲れちゃったりしないの?」
「は?」
ハッカリは口をぽかん、と開けた。
しばらく沈黙が続いた。ハッカリは落ち着かなさそうに目をあちこちに揺らし、冷や汗さえかいているように見えた。ダフネが、聞いたらいけないことを聞いちゃったのかしらと不安に思い始めた頃、ハッカリはまた音が出そうなほどに急激に顔を赤らめた。怒られるのかと思い、ダフネは反射的に目をつむる。
「お、おま、え、なじょしてそんなごと」
「え?なんでって言われても」
「ハッカリ・・・や・・・その・・・オレそなごと考えだこどながった」
ハッカリはまるでしおれた花のようにうつむいていた。ダフネはその顔を不安げにのぞき込む。
「だ、大丈夫?」
「だ、だいじょぶじゃね!!」
「えっあっ、ごごめんなさい!」
「わがらね・・・あんたなじょ」
ハッカリは首を振った。
「ハッカリ杖に住む。生まれたどきがら杖にいだ。ハッカリとだけ言われできだ。だからそんな可能性わがらね。考えたことな」
顔を真っ赤にするハッカリは、まるで迷子になった子供のようだった。ダフネは微笑んで、なんとなく、そっとその頭を撫でる。ハッカリの肩が小さく跳ねる。
「じゃあ試すだけ試してみようか、ね。が、害があったら大変だけど・・・」
最後の言葉は尻すぼみになったが、ダフネは柔らかく笑っていた。
顔を上げたハッカリの目はまるで本当に、行き場をなくした幼子のようだ。
「なじょで」
「え?なんで、って?こと?」
「そだろ」
「え?だって、その、わたしはただ、その、ひとりじゃ怖いから、友達になりたかったから。だって、その、ハッカリって、名前じゃないのかなって思って」
ダフネは俯く。
「で、でもやっぱりそれがあなたの本当の名前だったら、ごめんなさい」
「名前じゃねだ」
ハッカリは静かに言った。
「ハッカリは・・・もと呪いの言葉し」
「呪い?」
「ある人縛り付ける鎖。唱えれば唱えるほど・・・縛り付ける」
「それは、いいことなの?」
「わがらなくなった」
「そう・・・」
ダフネはハッカリの手を握った。
「名前、付けてもいいかな?」
ハッカリは何故かむっとした。
「ハッカ・・・じゃね、オレに合う名前なじょね!ふん!」
「ええ?そ、そんな・・・」
「なだ」
「え、あの・・・そうね」
ダフネはハッカリをじっくりと見つめた。
「アビエル。アビエルはどうかな?似合うと思ったのだけど」
ダフネがにっこりと笑うと、ハッカリはしばらく静かにダフネを見つめ返し、やがてほんのりと頬を染めて、目をそらした。
「どでも」
「うん、じゃあ決まりね!よろしく、アビエル」
ダフネは心が温まるのを感じていた。とても嬉しい。
とても楽しい。
ひとりじゃなく、誰か側にいると分かるだけで、こんなにも元気が湧いてくるものなのだ。
 
 
 
確かにダフネは何かが違っていた。
それを彼らが知るのは、
もうこの世界が、手遅れに達した全てその時だ―
 
ハッカリ、ハッカリ、
眠れよ眠れ
お前はその目をくださいな
私に全てをくださいな
ハッカリ、ハッカリ、
君は私のために、
この世界を
 
 
 
名は存在の柱となる
 
彼らは皆名前を決められているので
他の可能性に気づけない
他の生き方を知らないのです
 
誰がそうした
皆がそうした
そうすることで、
世界は成り立っている
 
鎖の中で
生きることが幸せだった



 
 
三、へ続く


 
 

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2011/09/01 小説:砂の時計台 第一章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.3

 
三、
 
ハッカリ、もとい、アビエルはふわふわと浮きながらダフネを先導してくれている。なんとなくその姿を目で追うために空を見上げるので、ダフネは何度かけつまづいていた。
けれど、頭上を見渡してようやく気付いたことがある。
ここはとても不思議な世界だ。少なくともダフネは、こんな世界、見たことがないと思った。記憶が全くないのに確信できるのが不思議だが、それでも、こんなものは自然ではないと思った。
まるで影絵だ。
どこかで、こんな影絵を見たことがある。影絵の森。木の幹も枝も、そして一つ一つの葉っぱでさえ、まるで人の手による工作のように、均整のとれた幾何学的でどこか複雑な形をしている。
まず木の葉がただの緑ではない。緑を基調とした虹色だった。まるで薄いガラス板のようだ。
それらを透かして降り注ぐ虹色の光がアビエルの白い体を色づけて、まるで万華鏡のように移り変わる。とてもきれいだった。
空は、ダフネもよく知っている澄み切った空だ。けれど雲がなかった。びっくりするほど全くない。綺麗だけどどこか違和感がある。そして何より、真昼間で見えないはずなのに、青い空の中に銀色の星のような光が満点にきらめいているのがわかる。とても綺麗だった。綺麗だけど違和感だ。
木々の間を、くすくすと微かな楽しげな笑い声がかすっていく。
眼を凝らすと、小さな人の形をした影絵たちが生きていた。とても綺麗だ。けれどダフネはぎょっとして身をすくませた。あまりにも生き生きとしている。影なのに。
「あ?どした」
「あ、あれ・・・っ」
アビエルがダフネが立ち止まったのに気付いて振り返った。ダフネの呼びさす方向を目を細めて見つめる。
「あー。【切子】たぢ」
「き、切子?」
「いたずら好きだども、根は悪ぐね。ほっとげ」
「ほ、ほっとけと言われてもその、気になるというか・・・」
「そさな。おまえも気をづけろ。役目はだせないならおまえもいつか影になる」
「え、え?」
「ダフネいつも白麒麟失望させる。そのたび紙切れになって、消える。還っていく」
「き、消える?わたし消えちゃうの!?」
ダフネは自分でも驚くほどの声をあげてしまった。
「ま、気にするこどじゃね」
「き、気になるよ?」
「ダフネ消えでも、おまえ消えるわけじゃね。おまえは還るだけ」
アビエルはふと、自分の両手を見つめた。
「この世界、みんなみんなそうだ。みんなほんどうはただの紙。白麒麟柱にしてやっと動いてるただの紙人形さけ」
ダフネは思わず自分の手首を掴んだ。けれど確かにやわらかくて、立体がある。とても自分が紙とは思えない。
「ね、ねえ、どういうこと?」
「おまえ」
アビエルは少しむっとして振りかえった。
「質問うるさい。流れにまがせろ。面倒じゃ」
「でも、でも、わからないことだらけじゃ不安になるんだもの」
「おまえほんどに変わってんな」
アビエルは呆れたように言った。
「このせがいにいる人間で、お前みだいに質問だらげのちんちぐりん見たごとねわ」
「ち、ちんちくりんだなんて、ちょっとひどいと思うの!」
ダフネは身を縮ませながら小さく抗議した。アビエルはにやっと笑った。
「おまえ、応えるよなっだな?」
その不敵な笑みに、ダフネはうつむくしかなかった。顔が熱い。
「だけど・・・」
ダフネはそっと、自分のそばをひらひらと舞う影絵のような見事な細工の蝶に振り返りながら呟いた。
「みんな、生きてるのね。表情はよくわからないけど、なんだか楽しそうに笑ってる気がする」
アビエルはにっこりとやわらかく笑った。
「あだりまえだ。こごは満たされたせがい。不幸なのはめっだにいね」
「滅多にいないの?誰かは不幸なの?」
ふと、不安になってダフネは問うた。アビエルは奇妙なものを見るような眼でダフネを見つめてきた。
「おまえほんどうに変わった人間じゃね」
「そう、かな・・・」
「そりゃ、犠牲の上になりたっとるせがいじゃ。ここは。だげと、犠牲自身がそれを幸福と思ってる。だからどうしようもね」
そう言ってふと、アビエルは口元を覆って思案した。考え込む時の彼の癖だ。手の甲で口を覆ってしまう。
「だども・・・そうけ。あいつだげは自分不幸思ってるかもな。けんどそれを面白がっでるから救いよね」
「誰のこと?」
ダフネが聞くと、アビエルは肩をすくめた。
「お前には関係ね。あいつは干渉嫌い。深入りすな」
そのまま前に飛んでいく。ダフネもその後に続いた。
ふと、歩いているうちにひらひらと何かが落ちてきた。花弁のような手触りのそれは、黒く縁取られた色とりどりの薄い硝子のかけらのようだった。はっとして見上げると、切子たちがくすくす笑いながら紙吹雪のようにダフネの頭上にかけら達をこぼしている。
ダフネは思わず頬を緩ませた。アビエルがまたしびれを切らして戻ってくる。
「おまえほんとに寄り道好きだな」
「ねえ、これは、切子さんたちがわたしのためにしてくれてるのかな?」
ダフネがにこにこしながら聞くと、アビエルは嘆息した。
「ま、おまえは切子に好かれたんだろ。そもそもダフネは誰にでも嫌われん」
「そうなの?」
「否定しね」
「でも・・・」
ダフネは少し寂しげに笑った。
「無条件に好かれるってなんだかさみしいな」
「なんだ?おまえ嫌われだいか」
「え?ううん、嫌われるのも悲しいけど、でも、うん・・・うまく言えないけどちょっと悲しいかなって」
「変な奴」
アビエルは肩をすくめると、ダフネの手首を掴んで引っ張った。
「お前寄り道すっから一向に前に進まね。さっさ歩げ」
「あ、うん、ごめんね」
ひとつかみの硝子吹雪のかけらをもって、ダフネはアビエルの後ろをついて行った。
 
「そういえば」
影絵のような木にたわわに実る赤い林檎のような宝石を見上げながら、ダフネは呟いた。
「お腹・・・すかないな」
「は?すぐわけね」
「え?でも、普通お腹すくものじゃないかな」
「食べなぐても生きれる。むしろ食べるものね。食べるなじょ鬼畜のやるこど」
「ええ?」
ダフネは混乱した。この世界で眼を覚ましてから、次第に薄れつつある【いたはずの世界】でのおぼろげな記憶が、この世界がおかしいことを告げる。
食べないなんてあるはずがない。食べものを食べて人は生きているのだ。甘いものも辛い物も、まだ舌が覚えている。
そういえば、喉も全く乾かないことに気付いた。ダフネはおそるおそる、隣で腰をおろしているアビエルに尋ねた。
「ねえ、この世界にはお水もないの?」
「は?水?あんにきまっでんだろ」
「そ、そう」
少しだけほっとする。
「この世界、水があるから生きてられる。色も光も全部水から命貰ってる」
「そうなの・・・」
「だども」
アビエルが半眼でダフネを見つめてきた。
「それは生き物のものじゃね。この世界の元素のものじゃ。お前といえども水は触れちゃいけね」
「え、ええ?」
「水に勝手に触れだら、浮彫と言えども容赦できね。おまえ消えんぞ」
「そう、そうなの・・・気をつけるわ」
「おう」
わけがわからない、と思いながらダフネは林檎のような深紅の【果実】と呼ばれる宝石を見つめた。この世界では木に成る実はすべて、ダフネがどこかで見覚えのある宝石ばかりだった。硬くて、とても食べられたものではない。もちろん空腹感もないので敢えて食べようとは思わないのだが。
一瞬、何かが一気に木の枝の隙間を横切った気がした。白く細い線。
「え?」
ダフネは思わず声を漏らす。けれど、それが何か、ぱっと見では分からなかった。アビエルを振り返ると、物凄く不機嫌そうに顔をしかめて、実を睨みつけていた。その視線を追う。ダフネはようやく気付いた。いくつかの実が貫かれている。白銀の細い針金のようなものに。矢のようなものに。
ダフネはびっくりした。まさかあの硬いものを貫けるものがあるなんて思わなかったのだ。
やがて、矢の突き刺さった実たちはふるふる、と体を震わせて見る見るうちにサファイアのように青く染まると、地面に落ちた。地面にあたり跳ね返るとき、まるで鈴のような音が鳴った。
その瞬間、ぴょん、と何かが遠くの木から枝を飛び越えて降りてきた。
「よっしゃあいっちょあがり」
声変わり前の少年のような凛とした声がダフネの耳に届く。状況を理解するのに時間がかかった。
少年なのか少女なのかわからない中世的な雰囲気を宿した、ダフネと背丈の変わらない子供が落ちた宝石をひょいひょいと腕の中にほうりいれる。ダフネの足元に転がってきていたそれに手を伸ばし、そうやくダフネに気がついたように、それはきょとん、とした。
「あれ?人?」
「まだ生ぎてたが。こんちくしょう」
アビエルがものすごく嫌そうに言った。少年らしき人物はぱっと笑顔になった。
「おうハッカリ!元気にしてたか?あれ?てことはこいつあれか、浮彫か!」
彼はばんばん、とダフネの背中をたたいた。痛い。
淡い苔色の髪と目が、とても綺麗だ。
「なんだぁほんっとにいっつもいっつも可愛い子ばっかだなあ。あいつほんとは面食いだろ」
「柱を悪ぐ言うんじゃねこんちくしょう」
「悪く言ってないだろ、見たまんま言ってるだけで」
少年はにっこりと笑う。
「だ、誰?」
ダフネはようやく声を出した。少年はきょとんとして、またにかっと笑った。八重歯が可愛らしい。
「僕はヨーデル。ヨーデル=セラエ。管理名は鳩だよ。よろしく」
「は、鳩?」
「そう鳩。ちなみに伝達屋してる」
「わ、わたしは」
「ダフネ、管理名浮彫、だろ?わかってるわかってる」
またばんばん、と肩を叩いてくる。結構本当に痛い。
アビエルはものすごいしかめつらで、ダフネをヨーデルから引き離した。
「えー何ぃ?いっぱしの男の面しちゃってえ」
ヨーデルがにやにやする。
「気色わりごと言うでね。お前とかかわってろぐなことね。さっさと帰れ消えろ二度と戻ってくんな」
「えー何だよ。ここで再会したのも何かの縁じゃん」
「その口ふさいでやろうか、気色わり」
「あ、アビエル、気色悪いってあんまり言うのはちょっと・・・」
「こいつには何言ったって腹の虫がおさまらね!」
「アビエル?」
ヨーデルは眉をひそめた。ダフネはおたおたする。
「あ、あの、名前をつけたの。アビエルって、彼に」
「へえええええ。アビエル、ねえ。名前、ねえ」
ヨーデルは眼を細めてアビエルを見る。その視線に少しだけダフネは肌が泡立つのを感じた。
―何・・・?
アビエルが身をすくませたのがわかる。アビエルはちっ、と舌打ちをした。
「こいつは嫌いだ」
小さくつぶやく。ヨーデルはにこにこしている。
「大体、何だおまえ?知恵の実勝手に摘んで、許されるど思ってんのかこら」
「ええ?でも仕事だしーこれが僕の。ま、今のところは、だけどね」
そう言って、おもむろに後ろの藪を振り返る。かさかさ、と草が揺れて、見事な白髪頭が顔をのぞかせた。
「あれえ?人が増えているね」
「よう、遅かったな」
ヨーデルはにかっと笑った。現れた少年はそれを曖昧な微笑で受け止める。
少年は薄茶の瞳をしていた。ぼんやりとした表情できょろきょろと周りを見ている。
「キリシャ、こいつ僕の知り合いのハッカリ。今はアビエルに改名したんだとさ」
「おめの知り合いになっだ覚えね」
ものすごく低い声でアビエルが毒づく。ひどくイライラしているのがダフネにもわかった。
「ふうん」
相変わらずにこにこと薄く笑いながらキリシャと呼ばれた少年はアビエルを見つめる。
「でもってこの子は新しい浮彫らしいよ」
ヨーデルはダフネを指差した。そこで初めて、ダフネはヨーデルの爪が藤色の塗料で塗られていることに気付く。
「へえ、そうなんだ」
キリシャは表情一つ変えない。
「人指差すんじゃねその汚い指ひっこめろ」
「ひどくないちょっと?僕ちゃんと手入れはしてるんだけど?」
ヨーデルは肩をすくめた。
たしかにとても綺麗な手だとダフネも思った。まるで女の子のようだ。白くて、小さくて、細い。
ふわあ、とキリシャがあくびをした。アビエルがぴくり、と眉を吊り上げたのがダフネにもわかった。
「アビエル」
小さな声でアビエルの名前を呼ぶと、アビエルは嘆息した。
「ああ、そうだ。俺名乗ってなかったね。キリシャ=ヘンゼルだよ。よろしく。ちなみに管理名は針」
「いや、さっき僕紹介した」
ヨーデルは肩をすくめる。ふと、ダフネはキリシャの顔色が悪いのが気になった。
「あの・・・」
「何かな?」
キリシャはあくびを噛み殺しながら首をかしげる。それと同時に、ふらり、と体が前に大きく傾いた。
「えっ」
ダフネは思わずその肩を掴んで支えたが、数歩よろめいた。
「あ、しまった。時間切れか」
ヨーデルは呑気に言った。
「なんだぁこいつ!?」
アビエルが物凄く素っ頓狂な声を出して顔を真っ赤にした。
キリシャはすやすやと眠っている・・・立ったまま。
けれど、首に触れたキリシャの頬は、不安になるほど冷たい。ヨーデルは残りの宝石を拾うと、
「ごめん、浮彫。そのままちょっと支えといてもらえる?」
少しだけ申し訳なさそうに言うと、器用にキリシャの服をめくった。そうして、背中に今拾ったばかりの宝石を一つ一つ埋めていく。埋め終わると、キリシャの体が青白く発光した。キリシャは虚ろに目を開ける。その眼はまるでガーネットのように赤く光っていた。やがてそれらの光は粉となって散った。キリシャの眼の色も元に戻る。キリシャの体はまたくたり、と力を失った。重みがダフネにかかる。アビエルがキリシャをダフネから引き離した。ものすごく不機嫌だ。
「おまえ、あれか、こいつに雇われてんのか」
アビエルの言葉に、キリシャの体を受け取りながらヨーデルはにっこりと笑った。
「うん、そう。【鳩】の仕事よりずっと儲かるよ。金蔓」
ヨーデルは悪びれもなく答える。
「おまえ連れてくるやつ、ったく」
アビエルはものすごく嫌そうに言った。
「いづもいづも面倒事抱えてるやつばっかりじゃねか」
「うん、そうだね」
ヨーデルはにっこりとうなずく。
「でも利害は一致してるしね、それに、面倒持ち込んだ僕には面倒を消し去る責任もあるでしょ」
「そのためも一つ面倒増やしてどうすんだボケ」
「少なくとも、この子はあの梟よりはずっとまし。いい加減返してもらわないとね。あそこは僕らの一族の場所だ」
ヨーデルは薄く笑う。ダフネはぞっとした。
「そのため傀儡?」
アビエルの不快そうな声に、ヨーデルは首を振る。
「言ったろ?利害の一致だって。こいつも望んでることだよ。それに、僕にとってはある意味場所なんて本当はどうでもいいの。あの子が還ってこられるならなんだってするの。それに、」
ヨーデルはダフネに視線を移し、にやりと笑った。
「傀儡なのはむしろ君だろう?ねえ、ダフネ」
ダフネは眼を見開いた。アビエルを見たが、アビエルは瞳を揺らした後、ふっと眼をそらした。
妙に頭が冴えていた。心臓の拍動さえ感じられない。
ダフネにはわからなかった。いきなり傀儡だと言われてわかるはずがない。
「あれ?実感わかない?もっと簡単に言うなら、操り人形だよ、君は梟に糸をついばまれて、好きなように踊らされるんだ。哀れだね」
ヨーデルはくすくすと笑う。
「そう、この場所はとっても哀れなんだ。ハッカリ、お前もわかってんでしょ。君がここを好きなほど僕らみんなみんなが同じようにここを好きなわけじゃないってこと」
「それでもこごは綺麗な場所だ」
アビエルはうつむいた。
「オレは柱を裏切れね」
「柱があるから君は生まれたんだもんねえ」
ヨーデルはにこにこと笑った。
「でも君の願いがほんとうは別にあるって僕は知ってる。そして僕らの目的とそれは決して敵対しないことも知ってる」
ヨーデルはにっこりと笑ってダフネをもう一度見た。
「ま、おいおい話しましょうか」
ダフネはうつむくしかなかった。
 
 
 
 

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2011/10/08 小説:砂の時計台 第一章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.4-1

 
四、
 
ふわふわと、白い布細工のような鳥が二羽、空を浮遊している。
むつまじく旋回するその影を見つめながら、ダフネは小さく息を吐いた。
「うー・・・ん」
ダフネの横でキリシャが唸りながら寝返りを打つ。もうずいぶん長いことこうしている。ダフネはキリシャのお守りをしていた。アビエルはヨーデルが嫌いだからと杖に引っ込んでしまったし、ヨーデルも何か野暮用だと言って森の中に再び潜ってから一向に帰ってこない。
キリシャは草の上で何度か虚ろに目を覚ますも、また眠りに落ちる、といったことを先刻から数え切れないほど繰り返している。原理はよくわからないけれど、ヨーデル曰く、【燃料切れに燃料をなじませるのにはそれなりに時間がかかる】らしかった。
キリシャの傍に寄って初めて気がついたことがある。
手の甲に、首の後ろに、キリシャはよく磨かれた透明な楕円の石を埋め込まれていた。否、むしろ、もともとそこに埋まっているのだ、体の一部として。
服を着ていると見えないが、太股や足の甲、肩にもあるとヨーデルは言っていた。これらは日の光や色を吸収しているらしい。そして背中には入れ墨のようなものがあって、対応する印から新たな原石を取り込むのだと言っていた。そうしないと生きられない体なのだ。『えぐいから背中を見るのはお勧めしないよ』とヨーデルは何でもなさそうに言った。
こうしてキリシャを見ていると、顔容しかり、この石しかり、あまりにも人間離れしている気がした。ここは、自分の知っていたはずの世界とはやっぱり違うのではないかという気持ちはどんどん膨らんでくる。なんだか怖い。少なくともこんな、まるで機械のような人間を日常的に見ていた覚えはない。肌が覚えていない。
そう、まるで機械なのだ。機械仕掛けだ。ダフネは思考の先にようやく少しだけ納得する。
こうして杖から出てくるアビエルも、常人にはありえない跳躍や着陸をするヨーデルも、体についてすらいない宙に浮かんだ硝子のような破片を羽ばたかせ空を飛んで行ったヒケも、すべてがまるで人間じゃないみたいだ。自分と同じ形をして、同じように言葉を話すのに、どうしても順応できない。どうして、どうして、と疑問符ばかりがどうしようもなく頭を駆け巡る。
ふと、服が引きつる。その先をみると、キリシャが寝ぼけたままダフネの服を掴んでいた。なんとなく微笑がこぼれる。そのまま放っておくと、今度はキリシャはダフネの手を掴んだ。まだ寝ぼけているらしい。目はほんの少しだけ薄く開いているが焦点が合っていない。
「・・・デル」
「え?」
キリシャの唇が震える。ダフネは驚いて顔をキリシャの近くに寄せた。よく聞き取れない。
「・・・行くなよ」
「え・・・?」
「僕は、君がいいんだ。君がいつの間にか・・・僕じゃ」
だめなの?と、音もなく唇が震える。ダフネは眼を見開いた。キリシャの表情はとても暗い。こんなに深い暗闇のような、擦り切れた人の表情を、ダフネは今まで見たことがない。何を言っているのかは分からないけれど、何と言葉をかければいいのかもわからない。
顔をあげていたキリシャの首が、かくん、と落ちた。顔が地面にしたたかにぶつかる。痛そうな鈍い音がする。キリシャの手はダフネの手首を掴んだままだ。けれど力は少しだけ緩む。
「うーん・・・」
キリシャは寝返りを打った。まだ眼をこすってはいるが、ようやく目が覚めてきたらしい。
「あれ?君誰だよ・・・て、うーん・・・見覚えはあるような・・・」
ダフネは苦笑しつつ答えた。
「ダフネよ。さっき会ったばかり」
「ダフ・・・ネ・・・?どこかで聞いた名前だな・・・ああそうか、人柱のアレか、・・・ああ、思いだしてきた気がする」
次第に声もしっかりしてきた。キリシャは本格的に目が覚めてきたようだ。
「ああ・・・そうか、なんとなく把握した」
欠伸をしながら体を起こす。しばらくぼんやりと背中を丸くしていたが、ようやくキリシャは自分の手がダフネの手首を押さえつけていることに気付いたようだった。
「ん・・・あれ、僕何かした?」
「寝ぼけていたみたい」
ダフネは微笑む。
「そう」
キリシャはそのままにして、またぼんやりと何かに浸っているようだった。表情は晴れない。
「どうしたの?まだ体はきつい?」
「うーん・・・いや」
キリシャはもう一度小さな欠伸をして、おもむろにダフネから手を離した。
「悪ぃ。あれ、夢見がちょっと悪かったみたい。もう忘れちゃったけど」
「そう」
ダフネはそれ以上何も聞かなかった。キリシャは、先刻ほどではないけれど、やっぱり薄闇にいるような表情をしている。どうしたら晴らしてあげられるんだろう、とダフネは思った。
「ヨーデルは?」
キリシャはあたりを見渡した。髪を掻くしぐさはどこか雑で、綺麗な顔をしているけれど男の子なんだなあ、とダフネは素直に感心する。
「何か用があるからって、森の中に」
「あー・・・そう」
キリシャはふう、吐息をついて後ろ手に背をそらした。
「アー疲れた。ん?あれ?なんか足りないような・・・」
「何が?」
「何が足りないのかな、僕にもよくわからないけれど」
「もしかして、体調がまだ悪いの?」
少し不安になって尋ねるも、それに対してはキリシャは首を振った。
「違う違う。そうじゃなくて、こう、空間に何かが足りないような・・・うーん」
キリシャはふと、ダフネを見ると、ぐいぐいと顔を寄せてきた。至近距離で目を覗き込まれて息ができない。
―な、何!?
「うーん・・・何が足りないんだか・・・うーん」
自分の瞳に答えがあるかはわからないが、あまりこうしてのぞかれるのは居心地がいいものではない、とダフネは気づかされた。
身動きが取れないまま固まっていると、ふい、と右上の方にキリシャの瞳が動く。顔の距離は変わらないけれど、何か別のものに気を取られたようだ。
「あ、鳥」
そう呟く。そちらを振り返りたかったが、首を動かすと確実に頭がキリシャの顔にぶつかりそうで、できなかった。ダフネはぎこちなく笑う。
「そ、そう・・・です、か」
キリシャはまた視線をダフネに戻してにっこり笑った。
「鳥って可愛いよね。僕は鳥大好きなんだ。僕も翼があればいいんだけど。あ、でもヨーデルは翼がなくてもまるで飛ぶように移動するよね」
「へ、へえ・・・?」
どうしようもなくて、そのままの姿勢で周りのものをまさぐる。掌に当たるのは草の切っ先だけだったが、手の甲が何か非常に熱いものに触れた。思わず手をかばう。その拍子に額がキリシャのそれと勢い良くぶつかって、痛かった。キリシャも痛かったらしい。少し悶絶している。やがてもくもくもくと白い煙があたりに充満した。熱かったのは杖だったのだとようやくダフネは理解する。
「こんのクソガキぁああああああ!!」
アビエルは物凄い金切声で怒鳴って、キリシャを突き飛ばした。キリシャはきょとん、としている。
「なんだおめなんだおまえ!!いいが、金輪際浮彫に一手でも触れるんじゃね、理が崩れるわこの大ボケやろめ」
キリシャはまじまじとアビエルを見つめて、なぜかにっこりとした。
「ああ、そうか、うん、納得した。煙が何だか足りなかったんだね」
「ひどの話聞いでたが!?」
「うん。僕はやっぱり、煙の匂いは好きだな。いい匂いだよね」
「何の話だ!!」
「お、落ち着いて、アビエ―」
アビエルの腕を掴もうとして、ダフネは体勢を崩した。ダフネの腕をとっさにアビエルも掴もうと手を伸ばす。けれど、煙が拡散しただけで、ダフネは結局顔面から地面に当たってしまった。少し痛い。
―恥ずかしい・・・!
そうだ、アビエルはあくまで煙なのだ。人の姿をしているから、忘れそうになる。ダフネにはアビエルを掴むことはできないのだ。それを忘れて馬鹿みたいに手を伸ばしてしまった。
恐る恐る顔を上げると、アビエルの表情が目に飛び込んできた。自分の手を見つめている。恐ろしいほど無表情だった。
「・・・ッカリはただのハッカリ」
何かを小さくつぶやく。けれどダフネにはよく聞き取れなかった。代わりにキリシャがにこにこと笑っている。
「うん、そうだね、それがあなたの役割でしょ?今更悲しいのかな?」
「悲しいわげあるかボケボケ」
ふん、と鼻で笑ってハッカリは顔を上げた。怒りは収まったらしい。
うーん、と伸びをして、キリシャは立ち上がった。腕を組み緩い袖に手をすっぽりと隠してしまう。そのままダフネの顔をもう一度上から覗き込んだ。
「この子も・・・ただの記号なのかな?僕が触れたら・・・そうだね、ちょっと待とうかな」
キリシャは少しだけ悲しげな顔をした。
「ダフネがたったお前ごときでどうかなるかボケ。そうそう軟じゃねし、おまえもそうそう強ぐもねわ」
「ああ、そうなんだ。そうだね、もし僕がこの子にとって危険なら、あなたが最初に会ったときに僕を退けるはずだもんね。あれ?でもじゃあなぜさっき触れるなって言ったの?」
キリシャが首をかしげると、ハッカリは顔を真っ赤にした。辺りの温度が少し増す。
「うるせえ黙れこのボケボケ!!」
「うん?いいよ、わかった」
キリシャはにこにこと笑ったままだ。ダフネは口を小さく開けたまま二人のやり取りを眺めていた。話がかみ合っていない気がするのはどうしてなんだろう。
「さ、いぐぞ。もうこごに用はね」
アビエルはふんっ、と言い捨ててくるりとキリシャに背を向ける。
「え?でも、ヨーデルがここで待ってろって・・・」
「そりゃこのボケボケがまだ眠ってだからじゃ。もう目覚ましだ。何の問題もね」
「え、でもやっぱり一人で置いておくのは」
「面倒ごどになるんじゃボケ!!いいがら、さっさとこごを離れろ阿呆!!」
「あ、あの、でも」
ダフネにはキリシャの顔がちょうど真正面に見えていた。
物凄く悲しそうで寂しそうで不満そうな顔をしている。
無言で訴えている。
「ほ、ほら、だって・・・」
もうどうしようもなくてキリシャの方を指し示すと、アビエルは舌打ちをしながら振り返った。そして頭を抱える。
「言いだいこどがあるなら口で言え!!!」
「え、僕しゃべってもいいのかな?」
「何とぼけだことぬかしてんだ消すぞこのやろう」
「でもあなたがほら、黙れって言ったから僕、待ってただけなんだけど」
にこにこと笑っている。
ダフネもさすがに顔が引きつった。まず、アビエルが血管のブチ切れそうな勢いで怒っているのがわかる。そして何しろ、キリシャの物言いが揚げ足を取っているのかそれともただの天然なのかが全く分からない。
―よ、ヨーデル、早く戻ってくれないかな・・・?
と心の中で少し祈ったが、ヨーデルが戻ってもアビエルの機嫌が悪くなるだけだ。もうどうしろというのだ。




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2011/10/16 小説:砂の時計台 第一章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.4-2

********************
 
色とりどりの緑。
その光が透かされた白い四角い箱の前に、彼女は佇んでいる。肩にかかるくらいの苔色の艶やかな髪がとても美しいと、少年は思っている。けれど口にも態度にも出したことはなかった。少女に手を出すにはあまりにもリスクが高すぎた。少女は【彼】のものだ。そして少女の心もまた、【彼】のもとにある。それは暗黙の了解だった。今更覆すことはかなわない、暗黙の習い。
そうだと知っていながら、それでもその傍で悶々と苦しんでいる侍りの少年のことを思って、彼は薄く笑みを浮かべた。憐れなことよ。お前には何も手に入るまい。これはお前のためのものではない。王様のためのもの。王様のために生かされている宝。
それにしてもとても綺麗な子だ、と少年は改めて感心しながらその横顔を見ていた。
少女とも少年とも言える端正な顔立ちに顔つき。まるで、孤独な鬼才の彫刻家が作り上げたかのような閑散とした作品。
この世界には汚れたものなんてほとんどいないけれど、その中でも目の前の少女の濁りのなさは誰にも真似できないのではないかと思った。この世界を支える柱である人形を除けば。
けれど、あんな人形なんて何の意味もない。
―僕が欲しいのはあんな心もない人形なんかじゃない。
こうして、一定の距離を置いて彼女を眺める時間が、すべての時間の中で一番好きだ。
欲しいという渇望。支配したいという欲望。罪を犯したくなる高揚。そんな自分を嘲笑う冷笑。
その狭間に身を委ねることのなんと心地よいことか。
髪と同じ苔色の長い睫毛が微かに震えた。少年は薄く笑った。いつ気づくだろうかと待っていた。
少女は眉をひそめてこちらに顔を向けた。
「なんだ。お前、来ていたんだ。気付かなかった」
少女は嘆息する。気配を感知する術には長けているはずだ。それでも彼女に気付かれない自信が少年にはあった。誰にも、【王】たる【彼】にさえ気づかれないように、陰ながら少女に焦がれるためには、気配を隠して眺めるしかないのだ。物心ついた時からずっと、そうしてきた。初めて近づいて、ひどく折檻されて以来、一度もしくじったことはない。少年は学ぶ術に長けている。
「やあ、セラエ」
ヨーデル=セラエは、頬にかかった髪をうるさそうに首を振って払った。
「で?そっちの様子はどうなんだ。僕はそれだけ聞いたら帰る」
つっけんどんな物言いに、胸の渦の芯がくすぐられる心地がする。とても気持ちいい。
こうして、ただ、王様の安否を知るためだけに自分と、何よりも不快な自分と接触を持とうとする。なんていじらしい。なんて、浅ましい。
「エウロラ様なら、息災にしていらっしゃるよ」
「そう。で、相変わらず諦めていない、ってところ?」
「そうですねえ」
にこにこと少年は笑う。ヨーデル=セラエは大きく嘆息した。
「その笑いやめてくれないかな。気色悪い。あんたほどそのはりぼての胡散臭い笑い顔が似合わない人間はいないだろうよ」
「またまた」
少年はくすくすと笑った。
「その気色悪い人間と同じ術で世渡りしている人のセリフだとは思えませんねえ」
ヨーデル=セラエは何とも言えない表情になった。自覚はあるらしい。
「どうして僕の真似をする必要があるんですか?あなたを見ていると、まるで鏡を見ているかのようなんだ。僕そのものの表情で、作り物の笑顔で君の【お友達】と接していらっしゃってねえ」
「し、仕方ないだろ」
ヨーデル=セラエが微かに頬を紅潮させた。
―お。
少年は心の奥が疼くのを感じた。これはそう、きっと嬉しいのだ。自分はきっと今、とても嬉しかったに違いない。こんな表情を見れただけで今日は満足だ。
「僕はあんたほど世渡りのうまい人間を他に知らない。あんたのように生きるしかないだろ。だってそうしなければ・・・人脈を作れない。僕は人との付き合い方なんて、知らないんだ。覚えることのないように植えつけられてきたんだから」
「そうですよねえ。そうは言いながら、あの少年には随分と心を開いているじゃないですか」
「は?誰のことだ」
ヨーデル=セラエはしばらく逡巡した。
「少なくとも、エルロアの末裔には僕は何も許してはいないけど」
「やだなあ、そうじゃないですよ、あの煙の子」
「は?」
少年の心になにか赤黒いどろどろとした誇り混じりの液体が駆け巡る。これは、なんだろうといつも思う。心臓がつぶされるようなどきりとする感覚がある。
「はぁ?あんた何言ってんの?どこをどうとったらそうなるの?あれは僕を毛嫌いしてるだけでしょ?」
彼女は心底呆れているようだった。ややあってものすごく睨みつけてくる。
「ちょっと待て。あんた、どこから見ていたんだ」
「さぁ?」
「相変わらず気色の悪い奴だな」
「やだなぁ、そんな僕と同じ演技をしているんですからあなたも十分気持ちの悪い子の仲間入りですよ」
「そんなことは・・・知ってる。だって、だからきっと、エウロラは僕を選んでくれなかったんだもの」
―ああ、そういうことじゃあないんだけど。
少年は心の中でだけ労う。けれど、口には出さなかった。主が、あらかじめ与えられることになっていた家畜を飼わなかったのは、それが嫌いだからだったわけではない。ただ彼が、この世で一番美しいものを欲しがってしまっただけだ。そんなものは存在しないのに。
彼はわかっているはずだった。一番美しいとされている柱もまた、ただの輪郭。中身などない。そんなものに触れても何の意味もない。それなのに主は何故なのか、柱の中身にこだわっていた。少年は知っている。主は柱になろうとしている。あの柱を壊そうとしている。そんなことは到底不可能だと言うのに。なぜそうしようとするのか、それだけを教えてくれない。少年が主に関して分からないことはただその一点に尽きる。他は手に取るように分かるのに、そこだけを巧妙に主は隠している。
―あれ?
ふと、少年は違和感を感じた。煙の少年への、憎らしい気持ち、そう、きっとそれは嫉妬と呼ぶべき感情に気を取られて、思い至らなかった。
あれは、媒介がなければ形をとることはできない存在だ。ただの呪詛なのだから。それなのに彼はたしかに、久しぶりに人の形をとっていた。なぜだろう。そんなはずはないのに。
何故だ?
急激に血の気が引いて行く。こんなにも狼狽したのは初めてだ。自分に視野などもうなくなっていくと気づかされるような感覚。
「ねえ、ヨーデル」
「あんたにその名前で呼ばれる筋合いはない」
「ヨーデル」
少年の声が、震えていることにヨーデル=セラエは気づいて、黙りこむ。驚いて目を見開いた。
まるで、捨てられた何かのような虚ろな目をしている。
―ああ、これだから嫌なんだ。
ヨーデル=セラエは小さく息を吐いた。
この水色の髪の少年が、こういう危うい芯を持っていると知っているから、邪険になかなか扱えないのだ。嫌いだった。大嫌いだ。気色悪いのも本当だ。それでも、振りきれない。心配になってしまう。情が湧いているのだ。それは、彼が唯一、エウロラ=エリオラが心を許している人間だからでもあり、自分をただ一人闇の淵から救いあげてくれた人だと知っているからだ。
「どうして、煙がいたんですか」
「は?そんなの、浮彫がいるからに決まってんだろ」
「そうじゃない。じゃあ、何故、浮彫がいるんですか。そんなはずはない。そんなはずはなかったんだ」
「は?」
話が見えない。ヨーデル=セラエは一歩前に踏み出して少年に近付いた。少年は震える手を口の前にやった。焦点が合っていない。黄緑と桃色の混ざった独特の瞳が見開かれぐらぐらと揺れている。舌打ちをしてその手を握り取った。
「僕を見ろ!」
緩い動作でかたかたと震えながら少年は時間をかけようやくヨーデル=セラエに視線を移した。ヨーデル=セラエは少しだけほっとしてその手を離した。握った手をぱんぱん、と服で拭くようにはたく。それは彼女のどうしようもない癖だった。もちろんこの少年―ユロシアが嫌いだというのもあるが、それだけじゃなかった。エウロラ以外の男に触れられるのは嫌いだ。たとえそれが割と気に入りのキリシャだろうと、ハッカリだろうと、関係ない。誰に触れられても払いたくなる。エウロラ=エリオラだけに触れられたい。触れてほしい。あの腕で抱きしめてほしい。頬に触れてほしい。
「なんだよ、何がどうしたんだ。言えよ。あんたは僕にだけは隠しごとをしないんだろ?そうでしょ?」
握られた手をぼんやりと眺めながら、ユロシアはしばらく何も言わなかった。だが小さくうなずく。まるで幼子のような動作。
「主が殺したんですよ」
ややあって、ユロシアはようやく口を開いた。
「そうすれば柱は空っぽになると思って、殺したんです」
ヨーデル=セラエはどきりとした。頭だけ血の気がなくなったかのように視界がぼやけていく。
「・・・な、どういう、こと」
「浮彫は、主が殺したんです」
「嘘だ」
「本当ですもん。だって」
ユロシアは、はは、と気味悪く笑った。
「その体を僕が燃やして灰にしたんですから。綺麗でしたよ?さすが浮彫だけあって、灰は虹のように光って空に吸い込まれて行きました」
「そんなことしちゃいけないのに・・・!なんでやったんだ!?なんであの人はやっちゃったんだよ!!ば、ばれたら・・・いや、もうばれてるだろう!!どうするのさ!!」
急激に恐怖で体ががくがくと震えた。ユロシアが先刻動揺したのがわかる気がした。
引き継ぎの儀式をしていない。ならば新しいダフネは、本来この世界に存在することができない。
それなのに、自分が出会った少女はたしかにダフネで、ハッカリと共にあった。
それは、自然発生したダフネがこの世界の根本を壊すために生まれたものであるか、
柱が全てを知った上でこの世界を燃やすために造り出したか、ただその二つの可能性のどちらかしかない。
いずれにしろ、柱は、知っているのだ。
誰かがダフネを、殺してはいけないダフネを殺したこと。
もしもそれがエウロラ=エリオラの仕業だともうすでにばれているのなら、きっと彼は消されるだろう。
この世界からも、鏡の世界からも、存在を消されるだろう。
もう二度と会えなくなる。
嫌だった。それだけはどうしても嫌だった。
どうしたらいい。どうすればいい。
「ふふ。そうか、僕たちは何か思い違いをしていたんですねえ」
くすくす、とユロシアは笑う。
「そうか、あいつか」
熱に浮かされたようにくすくすと笑う。
「ロス、なんなんだ」
ヨーデル=セラエの声もろくに聞こえていない様子で、ユロシアはぶつぶつと何かを呟いている。
「ああ、そうか、そうなんだ。きっと、そうだったんだ。僕たちはダフネじゃない、まずあいつを消さなきゃいけなかったんだ。あの醜い化け物を。少し温情をかけてやったのが間違いなんだ。あいつが、すべて、あいつのせいで」
「何を言っているんだよ!」
「鳥」
「は?」
「あの梟、あいつがきっと」
「何の話だよ!」
「いいです?セラエ、君がエウロラ様を取り戻したいなら、あるいは止めたいなら、銀の梟が邪魔ですよ」
「な、んで?なんで急にあいつの話になるんだ?そもそも僕はあいつの顔すら見たこともないんだ。そんなことを言われたって―」
「僕たちだって顔を見たことなんかありませんよ。この世界に生きている人間で、彼の顔を見たことのあるものなんて一人もいませんよ。だって、あれは柱のものなんだもの。柱しかきっと本当の顔は知らないでしょうよ。柱の顔だって、きっと知っているのは誰もいない。いるとすればあの忌々しい梟だけなんだ。だからきっと、あいつを捕まえなければいけなかったんだ。なのに僕らは見当違いのことをしてしまったんだ」
「ま、てよ、待てよ!よくわからないけど、でも、梟が邪魔って、梟がいなくなって喜ぶのはエウロラだろ?だったら僕は協力なんてできないよ!だって・・・僕はエウロラを止めたいんだ。知ってるでしょう?」
ヨーデル=セラエは泣きそうな顔をしている。その顔を見てようやく、ユロシアは我に返った。
―ああ、こんな顔をさせちゃいけなかった。こんな顔を見たいんじゃないんだ。
ユロシアを人として保つとすればそれは結局、ヨーデル=セラエへの愛しさだけだ。執着だけだ。
叶わない、叶うことのない想いだけ。
「違うよ、あの人の願いを途中まででもいいから、少しでもいいから、叶えることが大事なんです」
「・・・どういうことなんだよ」
「だって」
ユロシアは悲しげな顔をした。
「あなたはやっぱりわかっていない。願いが、強い願い、叶えたい望みを、叶えられないほど苦しいことはないこと、あなたならもうわかっているはずだと思ったのに。なぜエウロラ様があなたを受け入れられないのかわかりますか?あなたが何もエウロラ様を分かって差し上げないからですよ」
「僕はわかりたいと思ってる!わかろうとしているじゃない!!」
「違う、それは押し付けなんですもの」
ユロシアは首を振った。
「願いが少しでも手に届けばいいんです。とある境界がある。そこを越えれば、人は今度こそ願いの奴隷になる。欲が渦を巻いて、もう抜け出せなくなる。叶えてもかなえても乾くようになる。けれどその境界までたどり着いて、そこに広がる世界を見ることができたら、人は引き返すこともできるんです。そこにたどり着く前に引き返せだなんて、それはここでは生きるなと言っているようなものだ。あなたといると主はつらいんだ。主の思いはだって、そんなに軽いものなんかじゃないんだから。だから、僕は」
ユロシアはちらり、とヨーデル=セラエの目を見て、反らした。
「僕は、そこまでは主を連れて行ってあげたい。だから僕は、主と一緒にいるんです。目的がどうであれ、僕は主の願いを叶えてあげたいと本気で思っている。だから主は僕だけを連れて行ってくださった。あなたはわかっていない。きっとあなたが分かっていたら、主はあなたをこそ連れて行った。そしてきっと僕も、とうの昔に僕の願いを諦められていた」
ユロシアは目をこすった。胸が締め付けられて、いつの間にか涙がにじんでいた。女々しいとは分かっている。それでもこの想いをどうすることもできない。
「もう時間だ。僕はもう帰ります。あなたはもうそろそろ理解するべきだ。こうして僕があなたに会いに行けている理由」
ヨーデル=セラエは何も言えなかった。ユロシアはもう、彼女と目を合わせようとはしなかった。
「あの人はわかっていて、僕を放置している。あの人は全部分かっている。だから王様なんです。だから僕だって、憎めない。大好きなんだ」
ユロシアは、そのまま袖を振り上げた。ふわっと落ち葉が舞って、小さな竜巻になり、ユロシアの姿は消えた。その字名の通り。ヨーデル=セラエは、残されたままどうしようもなく立ち尽くしていた。何を言われたのかわからない。考えたくない。結局彼女もまた、どうしてもエウロラを求めていて、それでいて彼を理解することが怖いのだった。とうてい理解できるとは思えない。自分が頭が悪いのは知っている。そうして、頭の良さなどなくても欲しいものを勝ち取る人種をも知っている。自分だけができないなど思いたくなかった。私は貴方のためだけに生まれさせられて、育てられてきた。だったらあなたは私を求める義務がある。あなたの一言で私はこの世界に生まれてこなければならなかったのだから。だからあなたには、私に何かを求める権利なんかない。
エウロラ=エリオラ。
少女の呟きは風にかき消される。怒りだった。なんてことをしでかしたのかと、本人の胸倉を掴んで、殴り倒したい気分だった。その怒りが、なぜか自分を責めてきたユロシアの言葉への怒りへとも変わった。僕は悪くない。悪くない。僕はなにも間違ってなんかない。聞かない。聞かないよ。絶対に聞かない。聞いてなんかやらない。
 
 
 
 
 

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砂の時計台 Ep.5

五、
 
世界の人々は、ここを塔と呼ぶ。
そして彼のことを、柱と呼ぶ。
けれど本当はその実、誰も誰一人として、彼の本質を理解しているものなどいないのだ。
彼にただ一人【許された】者であるヒケでさえ、彼のことをすべて理解しているとは言い難かった。
何分彼はほとんどしゃべらない。否、自ら言葉を発することを知らないとも言える。
彼が話すとすれば、意味のわからない世界の理と、
規則性のわからない、世界に生まれた子供たちに与える新しい名だけ。
彼は何も言わない。
虚ろな目で、ただ天高く届かない天窓を見つめ、また諦めるように目を閉じては眠るだけ。
そしてもう一つ分かっているのは、彼は自我を持たないということ。
意思も意識も持たないということ。
彼はただの器であり、鏡であり、投影でしかない。
【彼女】の影だった。
だから、【彼女】が変わるごとに、彼は変わった。
まるで別人になった。
以前の彼は失われ、二度と戻ることはない。
そんな繰り返しをしているうちに、最初の喜びも、幸福感も消えてしまった。
ヒケは失ってしまっていた。
それでもヒケを支えているのは結局、この白くか細い指、ヒケの服の裾を、無意識に、必死につかんで離さない手だった。
どんなに彼の中身が変わっても、何故なのか、彼はヒケをその手で追ったし、見えてもいない目でヒケを探して虚ろに微笑んだ。
何故自分だったのかわからない。
ただ裁かれるためだけに彼の前に連れてこられたのに、なぜか彼はヒケを必要とした。
そのおかげでヒケは命拾いをしたし、この世界で彼の次に最も冒し難い存在となれたのだが。
あの時、この塔の中に残っていた全ての古い汚らわしい【細工】達を、ヒケが殺した。破り捨てた。
ただ、不快だったからだ。仕返しをしたかったからだ。
自分を痛めつけた世界、自分を苦しめた世界を、苦しめいたぶりたくてたまらなかった。
けれど全てが消えるのを見届けると、それはただの虚しさと悲しさと、体を引き裂かれるような痛みに変わった。ただの罪悪感だった。
―ごめんなさい。ごめんなさい・・・!僕なんかがあなた達を消しちゃって、本当に・・・ごめん、なさい。
忘れられるものか。
あの時彼はただ、ヒケの服の裾をつまみ、微笑んで、ただ一言。
『ありがとう』
と言った。あの声を忘れることなんてできない。きっと、なぜ自分だけが選ばれたのかなんて、それ以外に答えなんてないのだ。
 
「ただいま、オリバー」
ヒケはふわり、と、孔雀様の羽根の敷き詰められた塔の底に舞い降りた。
淡紅色のつつじによく似た花弁が、彼の髪にも服にも纏わりついている。
「ねえ、一つだけ・・・聞いていいかな」
彼は眠っている。静かに、たくさんの花弁と羽根に包まれて、眠っている。
「どうして、あれが【ダフネ】なの?」
答えはない。分かっていたことだ。
最後のダフネが意図的に殺されてから、彼は、オリヴァロは、目を覚まさなくなった。息もしていない。
それでも体は朽ちることも散ることもなく、美しいままここにある。
彼の役目がまだ潰えていないからこそ、この世界はまだ生きている。
ヒケは、彼に体を貸したに過ぎない。そして彼が勝手に、彼女に【ダフネ】という名を与えてしまった。
理屈が分からなかった。彼女はあまりにも【浮彫】にはそぐわない。
そもそも正式な後継でもない。
なのにどうして、彼が初めて彼だけの意思、あるいはそれに近い何かから、彼女をダフネにしたのかがわからなかった。
少なくともヒケから見ても、彼女には浮彫としての素質が全くと言っていいほどない。
【ダフネ】と彼を繋ぎ支える【煙】も、彼女の傍ではほぼ自分の役割を忘れてしまっている。煙の役割を全く果たせていない。
このままでは、あのダフネが消えるまで、彼が【栄養】を摂れない。
「なんであれがダフネなの?僕には納得できない。どうしてあれを選んだの?他にもいいのはもっといただろうに」
「君に」
ヒケは心臓が止まる心地がした。彼の、
オリヴァロの胸が、大きく膨らんで、息が吸われたのが分かった。
頬が薔薇色に紅潮する。
金色の睫毛がふるふると震えて、微かにオリヴァロの目が開いた。
そこに青い光を見て、ヒケはもっと驚いた。
灰色の、色のない瞳はもうそこにはなかった。
オリヴァロの瞳は、確かに空の色に色づいている。
「な・・・ぜ・・・」
「君によく似ていた」
オリヴァロは小さな声で呟いた。
「いつものように、暗い闇の中、黒の文字盤の上で、僕は、僕を救ってくれる誰かを探していて、見つけたんだ。見つけてくれたんだ。僕を見つけて、嬉しそうに飛び回ってた。光だった。だから僕は、手に取った。ただそれだけのことだよ。まるで、君と出会ったときのようだった」
ほう、とオリヴァロは深く緩やかに息を吐いた。
「君に似た子なら、好きになれるかもね」
オリヴァロは疲れたように言うと、また眠りについた。今度は胸が小さく上下している。
生きている。オリヴァロはまた再び生きている。
ヒケはあっけにとられていたし、恐ろしかったし、泣きたくなったし、もう何なのかわからなかった。
オリヴァロが、自分の意思で話すなんて、と思った。
それとも、これが、あの新しいダフネの力なんだろうか。
ヒケにはわからない。分かるはずもない。
けれど、映し身であるはずの彼は、先刻ヒケが言葉を交わした新参者とは全く別人に思えた。どこがどう違うとはよくわからない。それでも同じじゃない。影でもない。
―なんなんだ?
ヒケは胸を押さえていた。ひどく鼓動している。
「僕は君を、どう捉えたらいいの?」
ヒケは小さく声を漏らした。その声を拾ったのか、もう一度オリヴァロは薄く眼を開ける。
「とも・・・だち、が」
僕は、と口が動いた。
けれど、その先の言葉がつながれることはなかった。
まるで事切れたかのように、かくん、と首を落とし、オリヴァロは花に埋もれながら深い眠りについた。
 
*************************
 
ヨーデルは木の上の方から葉にまぎれてじっと睨みつけていた。キリシャがいつものごとくにこにこと本心の見えない笑みを口に浮かべているし、ハッカリは相変わらず短気で煙のくせに顔をかっかさせている。
―ダフネ、は、
新しいダフネは、あいにくこの角度からでは後ろ姿しか見えない
―肩が細いなー・・・
と、どうでもいいことを考える。
ただ、顔は見えないまでも何かおたおたと戸惑っているのは見てとれて、つい吹き出してしまった。
そうしてふと、何か違和感を感じる。
―僕は今、何を・・・。
確かに、胸の奥で何かが温かく熱をもったような心地がした。
そうして確かに、自分は今、笑ったと思う。無意識に。
意図してではなくて、自然に。
よく考えてみれば、と逡巡して、ヨーデルはハッカリの横顔をまじまじと観察した。
もともと彼に好かれていないのは知っている。好かれていないというか、それはもう、まさに嫌悪感、不快感だ。だからこそ彼は自分に合うと顔をしかめるし、なるべく話したがらなかった・・・はずだ。
―そういえば、あんなに言葉をやり取ったのは珍しかったな。
ふと、キリシャがすっと目を細めてこちらを見たのが見えた。ほんの一瞬のことだ。冷えたまなざし。いつものことだ。
―やれやれ、相変わらず勘だけはいいよな。
と、ヨーデルは嘆息する。早く戻ってきたら?と無言で訴えかけてきた。
ふと、また違和感を覚える。
―冷たい?冷たい、と思ったの?僕は、今、
また思考が一瞬停止する。
あたりまえのことだったはずなのに、どうして今僕は、キリシャを冷たいと感じ、ハッカリを暑苦しいと思ったんだろう。誰に教わっただろうか、そんな感想。
誰にも教わったことなどあるわけがない。今、あまりにも自然に浮かんできた感想だった。
そもそも、どうして暑苦しいなんて言葉を思いついたのだろう。どうしてハッカリは暑苦しく感じるんだろう。
今までもそうだったろうか?
ヨーデルは首を振った。しばらく考えてみたが、頭が痛くなってきた。考えてもきっとわからないことだ。
ハッカリが短気を起こして叫ぶのが見えた。それでもキリシャはにこにこと笑っている。あの神経の図太さには感心する。
やれやれ、と小さく頭を振ると、ヨーデルはふわり、と木から降り立った。腰に手を添えてのんびり歩く。ヨーデルの癖だ。左手を腰に当てて、右手を首の後ろに回してしまう。こうするとなんとなく首が温かい気がする。寒いのは嫌いだ。けれど暑いのも好きではない。
「やぁやぁ待たせたね、どうしたのさ、僕も混ぜてよ」
にっこりと極上の笑みで近づいて、ヨーデルははっ、とした。
ダフネが笑っている。
こらえきれなくなったように、口元を両手で隠しつつ、肩を小さくすぼめて、くすくすと楽しそうに笑っている。
とても、穏やかな顔だ。
―な、に、
思考が停止した。
なんなんだろう、と思う。
不安なのか興奮なのか、驚きなのか気持ち悪いのか、自分でももうわからなかった。
ただ、なぜだろう、何故居心地が悪くないのだろう。確かに自分は今、【違和感を感じているはず】なのに。
―思い出せ、僕、思いだして・・・!
ヨーデルは顔が引きつるのを感じながらも必死で頭を回転させた。どうして今自分はダフネが笑っていると知覚したのだろう。今まではどうだったろう。笑うダフネなんて変だ。おかしい。見たことがない。
見たことがない?
ぎょっとした。
今までのダフネのことなんて、大した興味もなかった。さほど印象にも残らなかったし、そう、どうでもよかった。何も心に響かなかった。ダフネはそういうものだ。柱がこの世界のために存在しているのなら、同じように浮彫もまた、柱が存在するためだけに存在している。ただそれだけの摂理だ。彼らが何者であろうと、ここで生きる自分たちには何の関係もないのだ。だから興味など出るはずもなかった。印象に残るはずがないのだ。そもそもこうやって、ダフネをダフネと認識したことなど一度だってなかった。初めてなのだ。初めてだった。
初めて、【この子がダフネ】なのだと、知っていた。
―どうしてなの?
ヨーデルはぐるぐると考え込んでいた。けれども答えなんて見つかるはずもない。そもそもこれは疑問だろうか。疑問に思うべきことだろうか。
君は何者なんだ。
ヨーデルは、口には出さずに、ダフネの横顔を見つめた。
「どうしたの?さっきから固まっちゃって。あ、おかえり」
キリシャがのんびりと言った。
「え?ああ」
「なぁに?足でもしびれたの?まるで人形みたいだね」
キリシャはにこにこと笑う。何が可笑しいのだろう。今の自分のどこに笑う要素があるのか。
―人形?
ふと、その単語が耳に引っ掛かっていった。何かがわかりそうで、わからない。
ハッカリがくるっと踵を返して立ち去ろうとする。つい苦笑した。よほど嫌われているらしい。
―あれ?でも僕、どうしてこんなに嫌われているんだっけか?
寂しいな、と思った。そう思って、びっくりした。どうして寂しいなどと思ったのだろう。いつもだったらただ、面白がるだけなのだ。それがヨーデルという人間だったはずだ。僕はどうしてしまったんだろう。
「おやぁ、もう行くの?僕たちと一緒にいた方が得策だと思うけど?いろいろと有益な情報、僕ら持ってるよ、ハッカリ」
「はっは」
鼻で笑われた。なんとも面白い反応を返してくれる。
「有益だぁ?んなこだオレが決めるこどだ。すぐなぐともお前といるのはただの害じゃクソボケ」
「話も聞かないうちから逃げるのー?聞いてみなきゃ分かんないでしょ。少なくとも闇雲に歩き回るよりかは僕たちの持ってる情報を頼りに進む方が無難だと思うけどねえ。ダフネは煙じゃないんだから、そうそう体力もないでしょうよ?」
む、とハッカリが唸る。ヨーデルはにやりと笑った。こう見えてハッカリはなんだかんだで押しに弱い。今度はダフネを攻めてみる。ヨーデルはくるりとダフネの方を振り返った。
「で、君は白麒麟に会いたいんだよね?」
「う・・・ん」
なぜそこで口ごもるのだろう、と思いつつ、ヨーデルはにっこりと笑みを深めた。
「それなら、少なくともハッカリは信用しない方がいいと思うなあ」
ダフネは一瞬不思議な表情をした。困惑とも幻滅とも自棄ともとれるような。こういう表情を一度だけ見たことがある。こんな顔もできるのか、とふと感心していた。けれどダフネはしばらくうつむいた後、首を振った。
「私は、アビエルのこと好きだから、いいの」
は?と言いそうになる。そもそもなんだろう。好き、だなんて。意味が分からない。好きだなんて、一体何の話をしているんだろう。
「まあ、信頼に足るやつだとは僕も思うよ、こいつ、馬鹿正直だし」
「うっつぁし。お前、オレのこどなんど思っとるんじゃ!?」
「あーまーはいはい」
ハッカリのことは無視しつつ、ふと、ハッカリが自分のことをオレ、だなんて、まるで個体のように呼んだことに今更新鮮さを感じた。
「まあね、ただね、ハッカリと一緒にいて、かつ白麒麟に会う、ってのはなかなか難しいんじゃない?そもそもこいつ、白麒麟が隔離されるために生きてるやつだよ?白麒麟から離れるように離れるように、この世界は白麒麟という柱を中心にして、ぐるぐると回り続けている。道が交錯することなんてない。そういう風にして保たれていて、そしてその摂理を保っているのもこいつそのものなんだよ?でしょ」
ハッカリはうつむいた。
「だどもオレあいづの場所ぐらい知っでる」
「知ってても行けないでしょ」
「・・・・・・そもそも」
ハッカリは、きっとした目つきでヨーデルを見た。
「なじょしてお前そな深い部分知っどるんじゃ。気色悪」
「僕を責められてもなぁ」
「煙さん、仕方ないこと言っても仕方ないでしょう?だってこの子、」
キリシャがちら、とヨーデルを見る。
「エリオリルの民なのだもの。この子のせいじゃないよね」
くすり、とキリシャが笑う。その笑みは、冷たい。柔らかいのにどこか退廃的な微笑。
ハッカリはぐう、と唸った。
「それにしてもおとなしいね、ダフネ」
キリシャはにっこりと、今度は屈託のない笑みでダフネに笑いかけた。
ダフネはきょとん、として首をかしげる。
―ああ、【ダフネ】だ。
と、ヨーデルは少しだけほっとした。そうだ、ダフネは感情を持たない。意思も持たない。ただ生かされているだけだ。そういうものだった。
この子もたいして変わらない。たかが少し、表情が豊かで、中身が優しいだけだ。僕としたことが、焦った。たまにはそういう欠陥品だっているだろう。
「君は不思議な子だね」
キリシャがのんびりと言った。
「君は僕らが話していない時だけ、【君】になるんだね」
 
―は?
 
ぞわっと、肌が泡立つ。キリシャがいきなり何を言い出したのだか分らなかった。こいつは本当にへんちくりんのちんちくりんだ。発想が奇妙奇天烈もいいところだ。だけど、意味があった。きっと今も意味があることを言ったのだ。何を言ったのだろう。何を考えているんだ?僕にはわからない。
一体君は何に気がついたんだ?
キリシャを思わず振り返ったが、キリシャはダフネと見つめあっているだけで、何も言わない。耳の中でもう一度、声がした。浮彫は、主が殺したんです。
そうすれば柱は空っぽになると思って。
世界が浸食されていく。
勿論、世界全体ではない。ヨーデルの世界だ。自分の世界だけのはずだ。世界が本当に何かに食われて行っているだなんて、思いたくない。
 
 


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2011/11/03 小説:砂の時計台 第一章 Trackback() Comment(0)

砂の時計台 Ep.6

六、
 
「そもそも、じゃい」
アビエルがものすごく不機嫌そうな声で言った。
腕組みして半眼でこちらを見下ろしてくる。アビエルには足はないけれど、もし足があったら仁王立ちしているんだろうなあと、ダフネはぼんやり考えた。
「なじょお前柱に会うんじゃ」
「え?」
「ああたしかに、それ僕も純粋に不思議だった」
爪を掃除しながら、こっちを見もせずにヨーデルが口をはさむ。それが不快だと言わんばかりにアビエルはヨーデルの脳天を睨みつけたけれど、当然あまり意味はない。
「会って何かいいことがあるのかな?」
キリシャがのんびりと、相変わらずにこにこと笑いながらじっとダフネを見つめてきた。キリシャはなぜかものすごくこちらの目を見てくる。反らすわけにもいかないし、反らすこともできないし、ダフネはそのぼやけた色合いの瞳を同じように見つめ返すしかない。少々仰け反りながらだが。ヨーデルが苦笑した。
「またお前、歯に衣着せぬ物言いだね」
「うん?そうかな?」
にこにこしたまま、キリシャはきょとんと首をかしげる。
「もっと遠回しな表現はいくらでもあると思うけど、僕は。まあ僕個人的な意見では」
「そういうものなんだ」
「どうでもいい!」
アビエルが怒鳴る。
ダフネはうーん、と唸った。何故と言われても困る。ただ、最初に会った人で、しかもほんのちょっとしか会えなかったから、また会いたい。それだけのことなのだ。その気持ちを、ヒケに気付かされたから、本当に会いたくなった。頭の中は正直そのことでいっぱいだ。声が綺麗だったな、とか、儚げだったな、とか、とても綺麗な金の髪だった、とか、結局そのすべてを、もう一度ちゃんと見て聞いて、感じたい。
ふと、ダフネはヒケのことを思った。そういえば、どうして私はヒケにもう一度会いたいなと今まであまり思わなかったんだろう。
ヒケ。とても不思議な子だった。オリヴァロとは違う意味で、だ。オリヴァロは本当に、まるで夢のような、夢そのもののような人だったように思う。ヒケはまるで。
まるで、悲しみそのものだ、と思った。ヒケのことを思い出すと、あの頬と腕に残っていた焼き鏝の跡が頭から離れなくなった。痛そうだ、と思ったのだ。辛いと思った。それでも、あんな傷を火傷を残されてなお、凛とした横顔が、可愛いと思った。綺麗だと思った。
「わたしね、」
ダフネはぼんやりと考えをまとめながら言った。
「オリヴァロに会ったら、今度はヒケに会いに行きたいかも」
「はぁ!?」
アビエルが素っ頓狂な声を上げる。
「え?な、なに?」
「意味わがらん!意味わがらん!!!!」
ぶっ、とキリシャが吹き出した。
「あはっ、あははははっ」
「笑いすぎだっての」
「だって、面白いなあと思って」
キリシャは肩を抱える。
「二人一緒に会おうとかそういう選択肢の前に、順番なんだね、順番に会いに行くんでしょ、これが面白い以外の何だっていうの」
「ああ、なるほど。あんたのツボはそこだったわけね」
ヨーデルが苦笑する。
「でも、一番に会いたいのは白麒麟なんだね」
「うん」
「なぜ?」
目に浮かんだ涙を拭きながらキリシャがたたみかけてくる。ダフネはきょとん、とした。
「だって、最初に会った人だもの。一番長く会ってないんだもん」
「あはははははははっ」
また腹を抱えて笑いだす。ヨーデルの際に顔を隠して、地面をばしばしと叩いていた。何がそんなに面白いんだろう、とダフネはぼんやりと思う。
「面白いなあ本当に。褒め言葉だよ」
「うさんくさいよ」
ヨーデルが呆れたように言った。
ふと、不安になってダフネはおそるおそるアビエルを見た。
「だめなの・・・かな?」
「すぐなぐとも、」
口ごもりつつアビエルは答える。
「白麒麟に会うよが梟の方見つかりやず」
「え、でもそれじゃあいつまでたってもヒケを探しに行けないわ」
「もう、君って、ほんっとに、あはははっ」
キリシャは地面に転がった。
 
「あれかねえ、刷り込みってやつかねえ」
「あるいは一目惚れってこういうことじゃないかな」
「まーたそういう話にすぐ持っていく。ほんと好きだね、男のくせに」
「いいじゃない、面白いのだもの」
「刷り込み?」
ヨーデルとキリシャの軽口の応酬に、アビエルが口をはさむ。
「ほら、生まれたばかりの赤ん坊って、初めて見たものを母親として認識したりするでしょ。それと似たようなものかなって。意識をもって初めて見たのが白麒麟だから、恋しくなってるんじゃない?」
「それを恋だと勘違いするのもよくある話だよね」
「だから、キルはどうしてそういう話にすぐ持っていくのさ」
キリシャはにこにこと笑うだけだ。
「あー、なる」
アビエルが珍しく素直に頷いた。
「ダフネはもどもどそういうもん。潜在的柱のこど、心に棲んでるがら、柱へ尽ぐす」
「好きな人には貢いでしまうような感覚だね」
「まあ、好きでもない人に尽くすのは苦痛だよねえ。てか、だから、キルったら」
アビエルは二人の軽口は完全に無視した。
「だども、普通、普通な、」
アビエルの声は少し暗かった。
「普通は、ダフネ、一度もあいつに会わないまま終わる。それが、当然」
ダフネは一瞬、言われた意味が分からなかった。
「え?でもわたしは会ったよ?それって、どういうこと?」
「だがら、この世界の柱には、いぐらダフネと言えど、普通会えん。なのに、なじょお前会ったんじゃいろ」
「なんで会っちゃいけないの?」
「え、や、会っちゃいけんつかな、」
アビエルは眉尻を下げた。
「まあ、うん、会っだらいがんのかも知れね。だど、そもそもダフネ普通会いたがらね。寧ろ全力で会いたがらね」
「普通?」
ダフネは眉をひそめた。
「あのね、ずっと気になってたんだけど、ダフネ、って名前の子、他にもいるの?」
「いるというか、いたんじゃないかな」
キリシャがのんびりと言う。
「だがらそういうこどは!」
「え、何で言っちゃいけないのさ」
「ええい黙れど阿呆。お前引っ込んでろど阿呆」
ヨーデルはアビエルの罵声に肩をすくめた。
「かな?」
ダフネが聞き返すと、アビエルは厭そうに舌打ちして顔をそむけた。キリシャはにこにこと笑いながら続ける。
「そうだね、これは僕の推測だけど、たぶん、限りなく正しいと思うけど、言っちゃいけなかったんだろうね」
「それ今言っだわ!!」
アビエルが吠える。キリシャに意に介した様子はなかった。
「違うよ、言っちゃいけない、ってことを言いたかったんじゃないよ。そうじゃなくて、たとえばさ、考えてみようよ、もし君が、【やぁ君、しばらく僕のために働いてくれるかな?だいじょーぶ、君が死んだらいくらでも代えはあるからね!死んでも困らないからぁ、思う存分危ないことしちゃってくれていいよ!僕のために命張ってね~!じゃあ頑張って!うふふ】とか言われたらどうかな?胸糞悪いでしょ」
「キル、あんたさ、一体どこへ行きたいの」
ヨーデルの呆れた声を、キリシャは笑顔で流してしまった。アビエルも呆れている。ダフネと言えば、少々気圧されていた。
「うん・・・?」
「胸糞悪いよね?」
「う、うん、」
「ね?」
「む、胸糞悪いです・・・」
「何言わせどんじゃこのボケボケボケ!!」
「うん、よくできたね。で、そういうことだよ、きっと。たぶん。自信ないけれど」
「無視すんっな!!」
「あれ、さっき自信あるみたいなこと言ってたじゃん」
「僕は推測だとちゃんと先に言ったよ」
キリシャはしれっと言った。
「それで、煙さんの言い分だと、ダフネには普通生まれた瞬間から作為的に柱への刷り込みは施されていて、実際にはダフネはその柱自身には一度も会うことのないまま終わる、そうだったかな?」
アビエルは何も言わない。
「だから、これも僕の推察だけど、」
「自信はないんだろ、わかった、先続けろ」
「ありがとうヨーデル。多分、情をわかせないため、っていう理由もあるんじゃないのかな、柱がダフネに会わないのは」
「あー・・・つまり、つまるところ、あれだろ?」
ヨーデルは髪をいじりながら面倒そうに言った。
「元々印象として、絶対的存在として柱の存在が埋め込まれているところに、さらに本人に会うという強烈な印象を残したら、浮彫の柱への執着の度合いは確実に膨れ上がるよな、そうするとまずいことがあるんだろ、多分」
「多分、会えないというか、会っちゃいけない、のかな。ダフネに探しに来られたら本当は柱が困るのかもしれない。つまり、世界にとって困ることがあるってことだよね、きっと」
「で、でも」
ダフネは頭をぐるぐるさせながら口をはさみこんだ。
「ヒケは、わたしに、じゃあ探せばいいんじゃない、って言ったの」
「そこがおかしいんだよねえ」
ヨーデルのいじっていた髪の房が複雑に絡み合って鳥の巣のようになっている。
「矛盾してる。それこそ意味分かんない。あいつ何させたいわけ?」
「オレに聞がれでも知らねわ」
「ですよねえ」
「というかね、そもそもね、君が柱に会ったことがある段階からしておかしいよね、それだとすると。だって、さっき言ったでしょう、きっと柱とダフネが邂逅すること自体が禁忌に近いものであろうこと。なのに既に会っているというのなら、矛盾どころの騒ぎじゃないと僕は思うよ。それとも、既に会ってしまったから、寧ろもっと会うことで世界に何かしらの変化を作ろうとしてるのかなあ」
キリシャはふっと表情を消して思案する。
「その考えで行くとさ、既に世界に何か変なことが起こってるってことじゃん」
ヨーデルは面倒そうに言った。
「歪みっていうかさ」
「歪んでたのはもともとじゃないかな」
キリシャが小さく呟いた。その声を拾って、ダフネは少し背筋が冷えた。
キリシャの目は暗い。けれどすぐに、また笑顔に戻った。
「もう一つ推論があるんだけれど」
「ああもうどっちにしろたぶんきっとそうかもね、なんでしょさっさと言って」
ヨーデルが声を上げた。キリシャはにこにこと頷いた。それは嬉しそうだ。
「あのね、君は、君が最初に会ったのが柱―オリヴァロだと誰から聞いたのかな」
「え?ええと、その」
ダフネはあまりはっきりしない記憶をさかのぼる。
「あのね、はっきり言われたわけじゃないの。だって、ヒケってものすごく回りくどい言い方をするの。何回も聞き返すと嫌そうな顔をするの。だからその、ヒケの話の前後で、どうやらさっき会った人がオリヴァロらしい、ってわかっただけなの。だから、その」
「ああ、それは確実に野郎だ」
「ああ、ヤローだな」
「おう、初めて意見がぴったり合ったな、ハッカリ」
「お前と阿吽の呼吸なんざ死んでもおごとわりじゃ腐れ」
「や、やろー?」
「ふうん、どういうことかな、ちょっと僕にもわからなかった」
「だから、ヒケだと浮彫くんが認識しているやつは確実にヒケ本人だろう、ってことだっての」
「ああ、そうか。その可能性を考えていたんだね」
「ど、どういうこと?置いて行かないで・・・」
「ああ、だから、どうもこの二人は、君が【オリヴァロ】だったり【ヒケ】だったりと認識している人物が、本人じゃないかもしれない、偽名を名乗られた別物かもしれない、って線も考えていたってこと、かな、きっと」
「またきっとかよ」
「だけんど」
アビエルが静かに口をはさむ。
「あいづは嘘はつがねよ」
「え、そうなの?」
「嘘はつがね。黙るか言うか、どっちが」
「そうなんだ。意外だね」
キリシャがなぜか楽しそうに声を弾ませた。
「皆に嫌われてる銀梟はどれだけ悪どい人間なんだろうって楽しみにしていたのに」
「あんたと一緒にしてやるなって。さすがに僕も梟のやつに同情したくなってきたし」
「あのさ、あんだら、オレ思っだんだども」
「何?」
「なんでオレだぢ仲間みてに和んじょる」
「いいじゃない、僕たち一蓮托生で行きましょうよぅ」
「きめ。消えろ。腐れ。焦げろ」
「うわひど」
「うーん、僕はね、別にここでお別れしてもいいんだ」
キリシャは相変わらずにこにこして言った。
「僕には特に強い目的もないし、あったとしても特に柱に関係もないと思うから。だけどヨーデルはそうじゃないし、それに」
キリシャはそこで、なぜかぶつかりそうな距離までダフネに顔を近づけた。さすがにダフネも肩をこわばらせる。
―近い、近いわキリシャ!
「この子が僕たちと離れたくないのなら、行ってもいいよ、一緒に。僕の気分しだいだけど」
「え、あの、え」
これはなんて答えたらいいんだろう、とダフネは焦る。
ここで二人が離れてしまうのは少し寂しかった。三人の会話を聞いているのは、ダフネは結構好きだ。だけど、これは、
―強制?あれ?
ダフネはぎこちなく笑った。
「ええとね、離れるのは寂しい、よ?」
「うん、ありがとう」
キリシャは嬉しそうに笑うとようやく顔を離してくれる。
「じゃあ検討の余地はあると思うんだ。どうかなヨーデル」
「あんたさぁ・・・はあ。またかよ、余地、ねえ」
ちらりとみると、アビエルは口をあんぐり開けて固まっているようだった。どうして微動だにしないのだろうとダフネは少し心配になってくる。
やがて、きっ、とキリシャを睨んだあと、アビエルは叫んだ。
「表に出ろおおおおオオ!!!!!!」
表ってどこだろう、とダフネはぼんやりと考える。服の表だろうか。
つまり服を脱げということなら、それは少し困るかな、とダフネは肩をすくめた。
そういえば、と少しだけダフネはキリシャのくすくすと笑う横顔を見つめた。
話が途中で途切れたような気がする。それとも、意図的に反らされたのかもしれない。
―この人、なんだか・・・
少しだけ怖いような気がした。ヒケの方が怪しかったけれど、ヒケの方がずっと怖くないと思う。
―会いたくなってきたなあ・・・
ダフネは空を見上げた。ヒケの羽根と同じ色の空が広がっている。
―あれ?
ふと、強烈な違和感を覚えた。
オリヴァロにも、この色はなかったか。
オリヴァロの服を、髪を思い出す。黄色と金色のよく映えた衣装。
青なんて、そこにあっただろうかと不安になる。
頭が痛くなるまで記憶を振り絞って、ようやく、その瞳に至る。
―そうだ、あの子の目は空の色だった。だからきっと覚えてたんだ。びっくりした。きっと、
きっと、そうだよね?
まだ、心臓は痛いほど早鐘を打っている。




 




 
 

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