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Puer ex machina ~キカイジカケ ノ ショウネン~
砂の時計台
紺碧の海
陽の光は細かに煌めき
まるで砂金のよう
白い砂を固めて作られた
煉瓦造りの四角い家々に
不釣り合いなほど優美な円柱の
天辺からはいたずら好きそうな大理石の天使が
わたしを見下ろしていた
無性に胸がざわめいている
ああ たしかにわたしは
ここにいたのだ
幾つもの星を渡り
幾千もの哀しみを糧に
生まれては終り
瞼を閉じてはまた開く
安らかなる時の輪の中で
もう動けないくらい
泣きながら歩いてきたけれど
やっと戻って来られたのだ
あなたに会うために
あなたの海にも勝る
深い深い暗闇に
負けないために
強くなったから
わたしは歩いていく
あなたは今も
あのすすけた本を読み掛けのまま
またうたた寝しているのかな
あなたは【全て】だったから
みんなが待っているわ
ここは綺麗な国だけど
いいかげん旅立たないと いけないよ
あなたの長く透き通る銀青の柔らかな睫毛が
震える感覚を
わたしはやっと 思い出した
Prolog
僕はあの塔が好きだった
どこまでもどこまでも高くそびえ立つ
どこまで手を伸ばしても 空には届かなかった
およそ森と呼ばれるものは
全てただの壁画だった
皆が海だと尊ぶものは
ただの空の映し身だった
僕は塔の一番下で
たくさんの蔦に絡まれ
ただ空を見上げていて
けれどそれが 余りにも当たり前だったから
何も辛くはなかった
むしろ辛かったのはきっと
君に出会ったからだよね
君は僕の内側に踏み込んで
僕を滅茶目茶にした
君に会って初めて
こんなにも心が痛いものだと知った
僕は君と一緒に
この塔を抜けて
天窓から覗くあの青に
飛び込んでいきたかった
吸い込まれたかった
僕は孔雀の羽に包まれて
ただ不格好に飾られた絵を見ることしかできない
寂しくはなかった
僕には銀色の美しい梟がいてくれたから
僕のただ一人の相棒だった
だけど
僕は見つけてしまったんだ
いつもどおり
君が現れるはずの 額縁の中
赤と朱
黄色と金色のアーチの中に
ひそやかにたたずむ柔らかな白の
ほっそりとした姿
真っ白な麒麟がそこにいて
首を少しだけかしげていた
君が来るのだと思っていたのに
どうして僕にはあの時 麒麟が見えたのかな
だけどあの時知ったんだ
もしかしたらここは
何かを間違えた世界なのかも
しれないんだって
背を向けて森に消えた白い麒麟を追いかけることもできないまま
僕はぼんやりとそんなことを
考えていたんだ
**********
高く高く本が積み上げられた書架の中で、まるでパズルのバラバラになったピースのようにたくさんの本を床に散らばらせ、少女が一人、その真ん中に座り込んで、一つの本を食い入るように読んでいた。
本は臙脂色の煤けた表紙をしている。
栞用の紐は、青みの強い鮮やかな紫で、照明を反射しててかてかと光っている。
それを螺旋階段の上から見下ろしながら、少年は手すりに身をもたせかけ、頬杖を付いていた。
まるで少女のいる場所が、塔の底に見える。
否、少年にとってはまるでそれは、逆さ映しの天窓のようだった。
軽い目眩と闘いながら、少年は、少女がいつ、散乱した本を棚に戻そうとするのだろうかと、半ば呆れる。
短めに不揃いに切られた薄焦茶の髪が、床板の色に溶け込むようで、不意に手を伸ばしたくなる衝動に駆られた。
けれど、まだそんな段階ではないのだ。彼女は何も、覚えていないのだから。
少年は体を反転させて、手摺の、蔓の文様のような美しい黒の金属装飾に背中をあずけ、天を仰ぐ。
静かに息を吐いた。踊り場の方からは、やけに興奮気味の子供の声が響く。少年は苦笑した。
子供というのはひどく無邪気なものらしい。少年は彼らと年はそう違わなかったが、秘めた記憶のせいで、随分と老成してしまっていた。知能が少し抜きん出ていたせいもあるかもしれない。目立ちたかった。有名になり、報道されるような人物になれば、いつか、いつの日にか、
彼女に、見つけてもらえるのではないかと、期待して。
そして彼女はあっさりと少年の予想を裏切った。
少年が有名になろうがなるまいが関係なく、彼女は少年のもとにたどり着いてしまった。
海を越え、国を越え。
決して知り合うはずのなかった二人は、まるでそれが必然であったかのように、自然に出会い、そのままこうして彼女とその友人兄弟まで、少年の家に入り浸っている始末だ。
けれど、もう時間はなかった。ただの長期休暇なのだ。
あと数日もすれば彼女たちはまた海の向こうへと帰ってしまう。
【また会いたい】と、言えるかどうか、不安だった。
彼女は余りにも平凡で、普通の子供で。
少年は有名になりすぎている。
もう二度と、邂逅などかなわないかもしれない。
―それじゃ意味がないんだ。意味がない。
どうしたら彼女をつなぎとめられるだろうかと、少年は半ば苛立ちながら考えていた。
ふと、階下から階段を駆け登る音が聞こえてくる。
特に体を動かすこともないまま待っていると、息を切らせて走ってきたのは彼女だった。
先刻からとり憑かれたように読みふけっていた本を抱えている。
「オ・・・ズ」
「何?」
少女はよほど息が苦しいのか、胸を抑えた。オズは呆れかえる。
「息整えるくらいしていいから。まったく。四階まで走って登ってきたらそりゃ息切れもするでしょ?」
「これ・・・この、本」
少女は本を突き出した。オズは気のなさそうにそれを受け取る。
「これがどうかしたの?」
「開けて・・・お願い」
「は?」
「元のように、真っ白だよ」
「そりゃそうでしょ、元々これは本というか、ただの日記帳用の冊子で、結局誰も使っていないってあれだけ言ったろ?」
「でもね、でも、わたしは見たもの、文字と、絵があった。記号があった。わたし、覚えてる。あの景色を覚えてる!!」
オズは絶句した。このノートに、そんな効果があるとはオズも知らなかったのだ。
怖くなんかなくて、むしろ期待して、ひどく心がかきむしられたのに、まるで恐ろしいものに出くわした時のように、血の気が一瞬で引いた。
オズは何も言えなかった。少女の言葉を待つしかできない。
ノートを開いてみると、たしかにそこには【何も書かれてはいなかった】。
これはそういうものなのだ。役目を果たした本は、全ての人の手で染み込まされたインクを失う。
すべての軌跡は消えたのだ。
少女はしばらく目を泳がせていたが、急に、「あっ」と声を上げると、再びものすごい勢いで階段を駆け下り、書斎の扉から姿を消した。
オズはまたもや呆れる。
忙しない娘だ。苦笑した。けれど、心がほんのり暖かくなるのはなぜだろう。
記憶とか、繋がりとか、関係なく。
「俺は、あの子にやっぱり惹かれるのかな」
オズは独り言ちた。
ダコタは全速力で走った。途中何度もつまづきかけたり、階段から滑り落ちそうになったが、それでも走った。
この屋敷はとてつもなく広い。古い木の香りと、黒く塗られた金属の香りと、
大理石のひんやりとした温度が、たゆたっている。
ダコタはようやく、屋敷の玄関先にたどり着いた。
大理石の階段。
不自然に大きい円形の天窓。
大理石の柱。
白い床に描かれた、青の線画。
それは明らかに、ダコタが、いや、ダコタの映し身が、何度も描いたことのある陣だ。
柱の形は、オズの祖父はパルテノン神殿をイメージしているといったが、本当はそうじゃない。
何度だって、見覚えがあるのだ。初めて【彼女】が目覚めた入口の、アーチの柱。
この屋敷に広がるすべてのものが、古典に回帰した現代彫刻としてのカモフラージュをされながら、その実、それは全てが【あの】世界の景色の模造だった。
―ああ、どうして気付かなかったんだろう。気づけないでいたんだろう・・・!!
ダコタは滲んでくる涙を手でごしごしと拭った。コツ、コツ、とヒールの音が、上から下へと響き降りてくる。
「オズ・・・」
ダコタは唇をかみしめた。
「なんだよ」
オズは気だる気に答える。
ダコタは振り返った。
オズのダーティブロンドの柔らかな髪が、青い薄板で閉じられた天窓の光に照らされて、この国の青い海のように艶やかだった。
「オリバー」
ダコタがその言葉を口にした瞬間、オズは肩をひどくはねさせ、小さく震えた。
まるで、森の小鳥が、羽の朝露を払うような、静かな時間。
「あなただったんでしょう?オリバー」
「な・・・んのことか な?」
オズはぎこちなく笑う。顔がひきつっている。動揺しているのが鈍感なダコタにもありありと見て取れた。
「知ってたんでしょう?ずっと・・・待っててくれてたんでしょう?わたしが・・・わたしがあまりにも、だめな子だったから」
「違う!そうじゃない!ただ俺は、・・・ただ」
「ずっとね、探してたの。わかるよ、今ならわかる・・・!だってわたしも、あなたを探してたの。会いたかったから、探してたの!ずっとずっと・・・待ってたの。探したかったの!」
ダコタは我慢ができずに、オズの首に抱きついた。オズは体を支えるために、咄嗟に階段の手すりを掴む。
呆然としたように、呟いた。
「会いた・・・かった・・・?」
「待っててくれた?」
ダコタの言葉にしばらく呆然としていたオズは、ようやく、震える手でダコタのひんやりとした髪を撫でた。やがて、震えは収まっていく。ダコタは、より強くオズを抱きしめる。
「うん」
オズはようやく、ダコタの肩に顔をうずめ、ダコタをふわりと抱きしめた。
「待ってたよ。ずっと・・・待ってたんだ」
「ごめんね」
「いや」
「会いたかった。会えて嬉しい」
「うん」
オズはダコタの額に自分の額を当てる。
ダコタは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。オズは柔らかくそっと笑う。
「不細工」
その言葉に、少しだけオズの服を握り締めて、ダコタはくしゃり、と笑った。
「ただいま」
天窓からの光は、少しだけ傾き、二人の影を短く照らしている。
そうしてようやく、【彼女】は目を覚ました。
そこがどこかも分からずに。
自分が誰かも忘れたまま。
元々ないものを、覚えていたはずもない。
それは塔の中。
鳥羽に埋もれた、飴色の塔の内壁。
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